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『当麻』(著:小林秀雄)

当麻


 今回は、前の『無常という事』に続いて、小林秀雄の別のエッセイ、『当麻(たえま)』について触れたいと思います。このタイトルは能の作品名から取っておりまして、読みが「たえま」、「たいま」とありますが、エッセイ中では「たえま」とルビが振られております。古くは「たぎま」と言ったのが、いつしか言いなまって、「たえま」、「たいま」となったそうです。「たいま」と言うと、「大麻」を連想してちょっと嫌ですから、「たえま」の方を取ったんですかね(爆)?

 この『当麻』と言う作品ですが、小林秀雄が評論と言うジャンルで文壇デビューを果たしてからは、雑誌「文芸春秋」や「東京朝日新聞」に文芸時評を執筆していたものの、1941年に太平洋戦争が始まるとそれを辞めて陶器や仏画等、古美術の世界に沈潜し、その時期に書かれたエッセイのようです。ですから『当麻』の内容は芸術論ですね。小林秀雄の評論は、芸術論を通して人間哲学を語る所に真骨頂があるのですが、その魅力の為に晩年、文化勲章を受章するに至りました。それではあらすじです。



―― あらすじ――

 梅若能楽堂で、梅若万三郎(明治の能楽師)の演じる『当麻(たえま)』を観たことを思い出しながら、僕は星が輝き、雪が消え残った夜道を歩いていた。(『当麻』とは、奈良の当麻寺を念仏僧が参詣すると、阿弥陀の化身である老尼と観世音の化身である侍女が現れて、その昔、生身の弥陀を拝みたいと念仏して祈り、中将姫の臨終の時に弥陀が西方極楽浄土へ迎え導いたと言う話を語り、その夜、僧の夢に中将姫が現れ、仏法の徳を称えて舞いを舞うと言う筋書きの能曲であるが、)あの僧の夢を破るような笛や太鼓の音がまだ耳に残り、中将姫の舞いが目の前を舞っているかのような余韻が残っていた。あの感動は何だったのだろうか?(『当麻』の作者である)世阿弥の詩魂に触れたのだろうか?

 中将姫が舞う場面で起こる音楽は丸で叫びのようであり、踊りは日常の起居、歌は祈りの連続のような単純なものになってしまっている。しかも、それらがあたかも開き直って、これでいいのだ、他に何が必要なのかと僕に囁いて来るようであり、僕は音楽と踊りの形式の単純で執拗な流れに呑み込まれて、これでいいと言うように思えた程だった。最初の内は、念仏僧が麻雀の上手そうな顔をしているなぁ等と批判めいた事を思ってもいたのだが・・。

 老尼がみすぼらしい格好で橋がかり(…能舞台の脇の鏡の間から舞台に向かって掛けた橋のような通路)に現れ、御高祖(おこそ)頭巾(…目の部分だけ出す防寒頭巾)の合間から僅かに能面の目鼻が見えるのだが、目鼻と言うよりは何かが化けたような奇妙な印象を僕に与え、例えば仔猫の死骸めいたものが二つ三つ重なり合い、風呂敷包みの間から覗いて見えると言うような不気味な感じを起こさせた。

 婆さんはこれと言って格別な事もしないで、唯、念仏を唱えているのが一番の功徳何だぞ、とでも言うらしかった。そうして、正体である阿弥陀の顔を、念仏僧にも観客にもとくと見せたいらしかった。

 それから、間狂言(読み:あいきょうげん 意味:狂言師が劇中の軽い人物として登場し、能曲の主題を説明してくれる部分)になり、場内は緊張がほぐれてざわめいていた。自分はどうしてあんな奇怪な顔に魅入っていたのだろう?顔をわざわざ隠して頭巾の合間から見せるようにする等、ひねくれた工夫だとは思うが、何とも言えぬ強い印象を受けた。

 そうして自分の周りを見てみると、この場内には随分色んな顔が剥き出しで集まっているが、眼が離せないような面白い顔が、一つも無さそうでは無いか。どれもこれも、何と言う不安定な退屈な表情だろう。そう考えている自分自身、今どんな馬鹿馬鹿しい顔を人前に晒しているか分からないが、してみると、自分の顔に責任が持てるような者は先ず一人もいない事になる。しかも、お互いに相手の表情を読み合って自分の顔を作って得々としている。滑稽な儚い話だ。いつから僕等は自分本来の顔を持たないで、周囲に合わせて顔を作ると言うような、面倒な情無い状態に堕落したのだろう? 

 現に僕の目の前の舞台で、恥じらいから着物を着る以上お面も被った方が良いと言う人生がつい先だってまで厳存していた事を物語っている。

 仮面を脱げ、素面(すめん)を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らずに近代文明と言うものは駆け出したらしい。ルソーは『懺悔録』と言う著書で自分の恥ずかしい性癖を告白したが、あれは懺悔等したのでは無かった。唯、自分自身に責任は持たないと言う、女々しい毒念が、次第に際限も無く広がっただけでは無いか?僕は間狂言の間、茫然と悪夢を見るような思いだった。

 やがて、舞台では中将姫の艶やかな姿が、舞台を縦横に動き出す。それは、陰惨な歴史の泥中から咲き出た花のように見えた。人間の生死に関する思想が、これ程単純な形式を取り、近代社会の進歩と称する無責任を黙殺し得た所以を突然理会したように思った。つまりは、近代社会の進歩等と言うのは、皆あの美しい人形のように舞う中将姫の周りをうろつく事ができただけなのだ。あの慎重に工夫された仮面の内側に入り込む事はできなかったのだ。世阿弥の「花(=美)」は確かに秘められていたのだ。

 現代人の間ではどう言う了見か、近頃再び能楽の鑑賞が流行っているが、これは今までお互いの顔を観察し合った罰が確かに当たっているらしい。室町時代と言う、現世の無常に真剣に取り組み、信仰の永遠を少しも疑わなかったあの健全な時代を、歴史家は野蛮な「乱世」等と呼んで現代に安心している。

 しかしそれは少しも遠い時代何かでは無いと僕は信じている。そして又、僕は無要な諸観念が飛び回らないそう言う時代に、世阿弥が美と言うものをどう言う風に考えたかを思い、確信した。世阿弥の能楽書・『風姿花伝』に、「数々の技を学び極め、工夫を尽くして後に、初めて花(=美=芸)が失われない境地が分かる」とある。美しい「花」がある。「花」の美しさと言うようなものは無い。対象である「花(=美)」の客観的な観念の曖昧さについて頭を悩ましている現代の美学者は「花(=美)」に化かされているに過ぎない。主観的な肉体の動きに則って、頭の観念の動きを修正するがいい。前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で意味深淵だから。世阿弥はそう言っているのだ。客観的で不安定な観念の動きをすぐ模倣する顔の表情のようなやくざなものは、お面で隠してしまうが良い。彼がもし今日生きていたなら、そう言いたいかも知れない。

 僕はそんな事を考えつつ、星を見たり雪を見たりして夜道を歩いた。ああ、去年の雪は何処に在るのか(…フランスの耽美的詩人・ヴィヨンの抽象詩の一句。悔恨や自嘲味のある詩風で、この一句もそうした趣きに用いられており、意味は特に無い)、いや、いや、そんな観念的な所に落ち込んではいけない。僕は、再び星を眺め、雪を眺めた。


 この『当麻』と言う評論的なエッセイですが、これも難解な事で有名なエッセイです。ネットで検索すると意外に多くこのエッセイがブログやホームページに紹介されていまして、特に『美しい「花」がある。「花」の美しさと言うようなものは無い』と言うような文章がどこかしら神秘的なせいか、多くの人に好まれ、よく引用される文句のようです。これは何でも無い文章のように荒氏個人は思うんですがね。表現が難しいだけです。先ず、「美しい」と言うのはこれは人間の感覚の一つですね。多く、感覚的なものと言うのは理論や観念では説明のしようの無いものです。ですから、花を美しいと感じたら、もう花そのものが美しいのだとしか言いようが無い。花が何故美しいのか?・・・と言うように理由を探ると百家争鳴てな事になります。

 もう少し詳述しますと、「美しい花」と言う時には「美しい=花」と言うような関係と言うニュアンスがありますが、これを「花の美しさ」としますと、「の」の後は従属を意味しますから「花⊃美しさ」と言うような関係になります。「⊃」と言うのは「含む」と言う数学記号ですよ。美しさとなると途端に抽象的になる訳です。抽象と言うのはある対象に含まれる要素を抽(ひ)き抜くから抽象と言う訳ですが、同時に捨象、他の要素を捨てると言った事が行われる訳です。つまり花の全体的・統合的生命力が失われてしまう。分析すればする程、対象の美とか生命から逸する。そう言う意味の文章ですね、これは。

 それを何かホメオパシー振興会の「森羅万象セミナー」とか言うページで事々しく解説して、アダムやイブの神話を借りたりしていますが、ちょっとくどい解説ですね、これは( http://nihon-homeopathy.net/archives/sinrabansyo3_2.htm )。よく解釈してますけど、管々しいです。本当の評論はシンプルに簡潔に述べ無ければならない。かっこ付け過ぎです(笑)。

 兎に角、この「当麻」と言うエッセイも、そこらのサイトでは高等評論のように論じられたりしていますが、内容はシンプルです。唯、内容は可也重要なテーマを取り扱っており、論旨も一貫しております。分かりにくいのは小林秀雄独特の、評論をエッセイ形式で述べると言うスタイルを取っているからで、橋本治さんの批判何てものは全くナンセンスな訳です(参考サイトhttp://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20080203/1201967568 )。

 大体僕の意訳したあらすじでもう、大筋の意味は分かるだろうと思うのですが、これは能と言う仮面劇を通じて、無責任で他人の顔を見て調子を合わせがちな現代を批判している訳です。自分の顔を持たない=主体性、自己責任が無い・・・と言う事です。現代と言っても、このエッセイは太平洋戦争の真っ唯中に書かれたと言うそうですが、当時の日本は全体主義でしたでしょうから、暗にそれを風刺したとも取れます。にも関わらず戦後の今日においてもこのエッセイは新鮮ですね。自由・民主主義の時代とは言っても、猶この小林秀雄のエッセイ通り、民衆は無責任で野放図な感じです。それにルソーの思想が乗っかってそれを正当化するから余計に始末が悪い。

 このエッセイでは直接は述べられてませんが、人間の顔と言うものはお互いの顔色を読み合った上で、計算して表情を作るものだから当てにはならない、それよりは舞台の上の仮面の方がよっぽど人間性の真実を表す・・・と言うニュアンスがあります。最初はその仮面を、能の初心者だった小林秀雄は不気味な、非生命的なもの、無機物なものに感じる訳ですが(猫の死骸と言う比喩がそれを物語っています)、何か真に迫るようなものも感じる。
それは人間性を人間の顔以上に表していたからです。

 そして我々は客観的なものばかりに捉われないで、もっと主観的な立場に立ち、美と言うものもそう言う立場から眺め、感じなさいと言うのがこのエッセイの訴えたい事です。その為にも、このエッセイの最後で小林秀雄は無用な観念に堕する事を恥じ、改めて無心に星を眺め、雪を眺めようとしたのでしょう。これは、後のエッセイ、「無常という事」に連なる小林秀雄の思想です。

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『無常という事』(著:小林秀雄)

無常という事


今回取り上げるのは小林秀雄の『無常という事』です。その前に、小林秀雄の作品を取り上げるのが今回が初めてですので、例によって小林秀雄について軽く紹介をしたいと思います。


小林秀雄


小林秀雄は文芸評論家で、1902年、東京に生まれます。一高と言うレベルの高い高校に入った時には、父の死があったり、母の喀血入院があったりした為に、神経衰弱に陥り、休学した事があったそうです。


 東大フランス文科に入って詩人・中原中也を知り、彼の恋人と恋愛をしてしまうと言う、中々ドラマチックな所もあります。


 27歳の時に『様々なる意匠』と言う論文が雑誌「改造」の懸賞論文に入選して、文壇にデビュー。それから文芸評論家として活動を展開しますが、プロレタリア文学に対しては批判的立場を取ったようです。これは考えてみれば当たり前ですね。共産主義は兎角未来を志向する反面、過去の伝統文化の権威を否定しがちですから。


 小林秀雄は文芸評論家と言うことですが、評論を創造にまで高めたとよく評されています。それは小林秀雄の評論が評論と言うよりはエッセイ体で書かれる事が多かったからでしょう。論文を感想形式で書くのですね。又その為に小林秀雄の評論は難解であるとも言われています。


 余談ですが、この小林秀雄をかなり評価して、一人私淑している人物に脳科学者の茂木健一郎がいます。彼は脳の中のある感覚、特に芸術的な感覚を「クオリア」として考究している脳科学者ですが、そう言う考え方が小林秀雄に相通ずる所があったのかも知れません。


 尤も、同じ脳科学者にして天台僧の苫米地英人(とまべちひでと)によりますと、クオリアの概念はオーストラリア国立大学哲学教授のデイヴィッド・チャーマーズが広めたのが最初と言うそうです。そのチャーマーズの理論によると、人間の脳の情報処理には別に不思議な情報存在があると言います。


 まぁそれは兎も角、僕からすれば小林秀雄、茂木健一郎の両人は、一方が文芸評論家、一方が脳科学者と言う肩書きですが、実質は哲学者では無いかと思われるのですね。それも人間哲学ですね。だからこそ彼等の評論は面白い訳ですが。それでは『無常という事』のあらすじに移りたいと思います。

――あらすじ――

「或る人曰く、比叡山の日吉大社に、偽って巫女の真似をした若い女が十禅師社の前で、人の寝静まった深夜にぽんぽんと鼓を打ちながら、清らかな声で『兎に角よ、ねぇねぇ』と謡ったそうである。その意図を人に問われた女が答えるに、『生死が無常なこの世の有り様を思うに、この世の事はどうでもいいから、ねぇ死後の世界をお救い下さい』と言ったそうである云々」


これは、「一言芳談抄(読み:いちごんほうだんしょう 内容:浄土宗の開祖・法然の言行集)」の中にある文で、読んだ時にいい文章だと心に残った。


先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついている際に、突然この短文が絵巻物のように鮮やかに心に浮かんで、文の一つ一つが生き生きと心に沁み渡った。こんな経験は初めてなので、酷く感動して、坂本と言う麓町で蕎麦を食っている間もずっと奇妙な思いがした。あの時に、自分は何を感じ、何を考えていたのか、今になって無性に気に掛かる。そう言う思いでこの文章を書き始めた。


「一言芳談抄」は兼好法師の愛読書の一つだったそうだが、この文章を彼の著書・『徒然草(つれづれぐさ)』の文章の中に混ぜても全然不自然では無い。しかしどうした訳か、後になるとあれだけの名文に、自分を心動かしただけの美しさを感じられなくなってしまった。あの美しさは何処に消えてしまったのか?その美しさを感得するだけの精神が消え去ってしまったからかも知れない。こんな子供らしい疑問が僕を思索の迷路に押しやる。僕は押されるままに、その疑問を否定せずに向き合って行くが、そう言う美学の萌芽とも言うべき疑問に捕えられた所で、僕は決して美学には行き着けないのだ。


あの時の感動は単なる空想何かでは無く、現実に、青葉が太陽に光るのやら、石垣の苔の付き具合やらに魅入っていて、その際にありありと鮮やかに浮かび上がった「一言芳談抄」の文章の感動を、それらの自然を通して辿っていたのである。余計な事は何一つ考えていなかった。この精神は一種のユーモアなのかも知れない。唯僕は今、あの時の充実感を思い出しているだけだ。その時間は自分が今そこに生きていると言う充実感に満ち足りたものだった。それはあの若い女の生きた鎌倉時代を巧みに想像していたのかも知れない。


 そこで思うのだが、歴史を新しく見直すとか解釈すると言う思想から逃れるのが、以前の僕には大変難しく思われていた。そう言う思想は一見魅力的だったし、巧妙な表現で僕の心を捉えたからだ。


 しかしその一方、歴史と言うものは見れば見る程不動なもののように映った。新しい解釈なぞでびくともするような脆弱なものじゃ無い。そう言う事が分かって来ると、歴史は僕にとっていよいよ美しく感じられた。


 晩年の森鴎外(…明治時代の文豪)が歴史評論家に堕したと言われるのは取るに足りない考えで、森鴎外が膨大な評論を始めたのは恐らく、いよいよ歴史に対する感動と言うものが分かって来たからだと考えられる。本居宣長(…江戸時代の国学者)の著書・『古事記伝』を読んだ時にも、同じようなものを感じた。解釈を超えた不動のものだけが美しい・・・と言うのが宣長の抱いた一番強い思想だ。解釈だらけの現代には一番大事な思想だ。そんな事を或る日考えた。


 又、別の或る日には、或る考えが突然思い浮かんで、偶々傍にいた川端康成(…明治から昭和期の作家、ノーベル文学賞受賞者)さんに、こんな風に喋ったのを思い出す。彼は笑って答えなかったが。


「生きている人間と言うものは、何を考えているのか、何を言い出したり仕出かすのか、自分にせよ他人にせよ分かったものじゃ無いな。鑑賞にも観察にも堪えない。そこに行くと死んでしまった人間と言うのは実にはっきりしていて、生きた人間以上に人間らしく見えて来る。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」


 歴史と言うものは死人だけしか現れて来ないから、確実な人間性しか現れないし、不動な美しさしか現れない。思い出は美しく見えるとみんなよく言うが、その意味をみんなが間違っている。僕等が過去を綺麗に修飾するのでは無く、過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。多くの歴史家が一種の動物に止まるのは、頭を知識で一杯にして、心を虚しくして過去を生き生きと想像したり思い起こす事が出来ないからではあるまいか?


 上手に想像したり思い起こす事は難しい。だが、それこそが過去から未来へ向けて一様に延びた時間と言う蒼ざめた思想(僕にはそれが現代人の最大の妄想に思われる)から逃れて、生きた現実を獲得する唯一有効な方法のように思える。決して出来ない事では無い。この世を無常とは言っても、決して仏説にあるような単に儚いだけのものではあるまい。それはいついかなる時でも人間が置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代のどこかの若い女程にも、無常と言う事が分かっていない。常なるものを見失ったからである。



 以上が、小林秀雄の『無常という事』でした。これは第二次大戦中に書かれた古典に関するエッセイで、僅か4ページ弱と言う短いもの何ですね。にも関わらず、このエッセイは近代日本散文中、最高の達成を示していると評されています。戦時中に「無常」なるものについて小林秀雄はひしひしと感じていたものがあったのかも知れません。


 ここではその内容をあらすじとして紹介しましたが、原文では難解である為に、かなり平易に意訳しています。例えば、小林秀雄の使う「思い出す」と言う言葉ですが、これは字義通りの意味では無い為、ここでは「想像したり思い起こす」と意訳しています。あらすじとは言え、内容はほぼそのまま載せています。

 
 分かり易く意訳したとは言え、このエッセイには解説と言うものがどうしても必要になって来るかと思われます。先ず単純にざっくりとこのエッセイの主旨を言ってしまいますと、あらゆる事に捕われず、今そこを生きろ・・・・とでも言った所です。先ずこの事を了解して頂いてから、更に少し細かく言いますと、このエッセイでは「生死」、「歴史に対する見方」と言う二つが重要なテーマになっています。


 タイトルは「無常という事」となっていますが、この無常と言う言葉は今日では余り使われませんね。「無常」は常で無いと言う事。永遠で無いと言う事。辞書では、一切の物は生滅・変化して、不変では無い事・・・とあります。意訳してしまえば「儚い」と言う事ですね。それに対して常なる事とは、永遠不変のものを言います。この常なる事には更に根本的で重大なものと言うニュアンスがあり、特に精神についてここではこの言葉が用いられています。


 そこでこのエッセイの冒頭ですが、「一言芳談抄」によると、昔の若い女性が日吉大社の十禅師社で、神に「現実はいいから、死後の世界で私を救って下さい」とお祈りしたとあります。現実については諦めてるんですね。何故かと言うと、現実は儚いものであって、永遠不変なのは死後の世界だから・・・と言う思想ですね。でも逆に言いますと、そう言う巫女に変装した女性の方は、現実の在り様をよく把握しているのだとも言えます。きっと現実で色々大変な思いをしたからかも知れません。この文章を読んで小林秀雄が感動した訳ですね。その感動によって小林秀雄は今を生きていると感得するのですが、それは取りも直さず、その昔の女性が真剣に現実を生きていた事に共感したからだとも言えそうです。


 そこで歴史に対する見方と言う問題に内容が移って行くのですが、歴史と言うものはどう解釈するか以前に、その時代時代の人間の躍動をありありと心に浮かべてみる事が大事では無いかと言うのです。平たく言えば、「考えるのでは無い、感じろ」とでも言った所です。そこで現実に目を移すと、知識や理論はよく発達していて盛んであるが、大事な所のこの「今を生きる」と言う充実感に乏しいのでは無いか。それは人間として大事な、不変なるものを見失ったからでは無いかと問題提起します。それが何かと言うと、「心」と言うことでしょう。そうやってこのエッセイを読み取って行くと、述べている内容は極めてシンプルですね。難しく感じるのは、このエッセイが本来評論として述べる所を、飽くまでエッセイとしての形式で述べているからでしょう。


 ですからタイトルに用いられている「無常」と言う言葉ですが、単に「儚い」とか「刹那主義」と言うもので終わらせるのでは無く、「その時その時、一瞬一瞬を大事に生きる」、と言うような意味での「無常」を小林秀雄は訴えたかったのでは無いでしょうか?しかしこれは余程向上心・志のある者で無いと現代と言う機械的な時代においては至難の業であるように、荒氏としては思われます。

『キッチン』(著:よしもとばなな)

今回紹介するのは、よしもとばななさんの代表作として数えられる『キッチン』です。

キッチン


よしもとばなな


よしもとばななさんについてですが、彼女は1964年、東京都文京区に生まれます。旧ペンネームは「吉本ばなな」で、よしもとが漢字だったのを平仮名に直したんですね。「つかこうへい」、みたいに。本名は吉本真秀子(まほこ)。父親は評論家の吉本隆明で、彼の次女になります。

 この人は小学3年の時に小説を書き始めたんですね。早い。漫画家になりたい思いもあったそうですが、絵は姉の方が上手かったので、自分は小説だなと思ったとのことです。日本大学芸術学部卒業ですが、日大時代は飲んでばかりの学生で、卒業後も就職はせず、浅草にあった喫茶店でウェイトレスのアルバイトをしながら執筆を続けたそうです。奇しくも、その時の喫茶店はコピーライターの糸井重里経営の店だったそうです。

 『キッチン』は文壇デビュー作であり、海燕新人文学賞と泉鏡花文学賞の同時受賞です。華やかですねぇ・・。
読後感の爽やかさやオカルト等の素材で、若い女性の支持を得ているそうです。よく本格的な文学作品ですと、後味の悪いものが多いんですがね。

 『キッチン』は、唯一の肉親である祖母を亡くしたみかげと言う女の子が、田辺とその母(実際は父)の家庭で温かい好意に触れ、生きる意欲を回復していくと言う内容です。では、あらすじに移りたいと思います。



――あらすじ――

 私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う。いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい。台所なら、いいなと思う。

 田部家に拾われる前は、毎日台所で眠っていた。台所が一番よく眠れる場所だった。私、桜井みかげの両親は、揃って若死にしている。そこで祖父母が私を育ててくれたが、中学校へ上がる頃に祖父が亡くなり、ずっと祖母と二人でやって来たのだ。

 先日、何と祖母が死んでしまった。びっくりした。葬式が済んでから三日は、ぼうっとしていた。

 祖母がいくらお金をきちんと残してくれたとは言え、一人で住むにはその部屋は広過ぎて、高過ぎて、私は部屋を探さねばならなかった。

 仕方なく、アパ××情報を買ってきてめくってみたが、どこに引っ越せばいいか分からなかった。


 ピンポンと不意にドアチャイムが鳴った。薄曇りの春の午後だった。慌てて半分寝間着みたいな姿で走り出て、ドアを開けると、そこには田辺雄一が立っていた。葬式の手伝いをしてくれた、一つ年下の良い青年だった。聞けば同じ大学の学生だと言う。今は私は大学を休んでいた。彼は言った。

「住む所、決まりましたか」

「まだ全然」

「伝えるだけちょっと、と思って。母親と相談したんだけど、しばらくうちに来ませんか」

「え?」

「とにかく今晩、7時頃うちに来て下さい。これ、地図」

「・・・・じゃ、とにかく伺います」

彼は、じゃ後で、と言って笑って出ていった。


 私は、祖母の葬式までほとんど彼を知らなかった。葬式の日、突然田辺雄一がやって来て、焼香しながら彼は、泣きはらした瞳を閉じて手を震わせ、祖母の遺影を見ると、又ぽろぽろと涙をこぼした。

 私はそれを見ていたら、自分の祖母への愛がこの人よりも少ないのでは、と思わず考えてしまった。

「何か手伝わせて下さい」

と言うので、その後、色々手伝って貰ったのだ。

 彼は、祖母の行きつけの花屋でアルバイトをしていた人だった。切り花が好きだった祖母は、いつも台所に花を絶やさなかったので、周に二回位は花屋に通っていた。

 そう言えば、一度彼は大きな鉢植えを抱えて祖母の後ろを歩いて家に来たこともあった気がした。

 彼は長い手足を持った、きれいな顔立ちの青年だった。振舞いや口調がどんなに優しくても彼は、一人で生きている感じがして、“冷たい”印象を私に与えた。

 雨の降る夜、田辺家のあるそのマンションは、うちから丁度中央公園を挟んだ反対側にあった。彼の部屋は十階にあった。部屋に上がると、そこは実に妙な部屋だった。台所へ続く居間にどかんと巨大なソファが置かれ、他にはテーブルを置くでも無く、じゅうたんを敷くでも無くそれはあった。

 ベランダが見える大きな窓の前には、沢山の植物群が鉢やらプランターやらに植わって並んでいて、家中よく見ると花だらけだった。

 しかし台所は良かった。板張りの床には感じのいいマットが敷かれ、雄一の履いているスリッパも質が良かった。必要最小限のよく使い込まれた台所用品がきちんと並んでかかり、小さな冷蔵庫の中は、きちんと整っていて、入れっぱなしのものが無かった。私は、この台所を一目でとても愛した。


 ソファで熱いお茶を頂いていると、ドアがガチャガチャと開いて、もの凄い美人が息せき切って走り込んで来た。かなり歳は上そうだったが、その人はびっくりする程美しく、日常にはちょっと有り得ない服装と濃い化粧で、私は彼女のお勤めが夜のものだとすぐに理解した。雄一が私を紹介すると、彼女は

「初めまして」と笑った。「雄一の母です。えり子と申します」

店が抜けられないらしく、すぐに又戻らなければならないが、明日の朝なら何とか時間が取れると彼女は話し、「じゃ、朝ね!」と赤いドレスと高いヒールで駆けて行った。彼は言った。

「みかげさん、うちの母親にびびった?」

「うん、だってあんまり綺麗何だもの」

「だって、整形してるんだもの」

「え。道理で顔の作りが全然似てないと思ったわ」

「しかもさあ、分かった?あの人、男何だよ」

私は目を見開いたまま無言で彼を見つめてしまった。

「えり子って名前は?」

「嘘。本当は雄司って言うみたい。昔はあの人も男だったんだよ。凄く若い頃ね。それで結婚していたんだよね。その相手の女性が僕の本当の母親何だ」

「どんな……人だったのかしら」

「僕も覚えてないんだ。小さい頃に死んじゃってね。写真あるけど、見る?」

彼は札入れの中から古い写真を出して私に手渡した。短い髪、小さな目鼻。歳がよく分からない、奇妙な印象を与える何とも言えない顔だった。

「さっきのえり子さんはね、この写真の母の家に小さい頃、何かの事情で引き取られて、ずっと一緒に育ったそうだ。男だった頃でも顔立ちが良かったからかなりもてたらしいけど、何故かこの変な顔のお母さんに物凄く執着してねえ、恩を捨てて駈け落ちしたんだってさ。この母が死んじゃった後、えり子さんは仕事を辞めて、まだ小さな僕を抱えて何をしようか考えて、女になることに決めたんだって。もう誰も好きになりそうに無いからってさ。女になる前は凄く無口な人だったらしいよ。半端なことが嫌いだから、顔から何からもうみんな手術しちゃってさ、残りの金でその筋の店を一つ持ってさ、僕を育ててくれたんだ。女手一つでって言うの?これも」

と彼は話して笑った。

 凄い身の上話を聞いた後、雄一とビデオを観ながら花屋の話とか、おばあちゃんの話をしている内に、夜中の1時になってしまった。ソファは柔らかくて深くて広く、雄一の母が衝動買いしたものらしい。

「そのソファは、当分君のものだよ。君のベッドだよ。使い道があって本当に良かった」

と彼は言い、自分の部屋へ戻って行った。


 私はシャワーを浴び、借りた寝間着に着換え、寝床となったソファで毛布にくるまって寝た。孤独が無かった。台所があり、植物がいて、同じ屋根の下には人がいて静かで……ベストだった。ここは、ベストだ。安心して私は眠った。


 水音で目が覚めた。ぼんやり起き上がると、台所に“えり子さん”の後ろ姿があった。彼女は冷蔵庫を開けて困っている様子で、私を見ると、

「この家何も無いのよね。出前取るけど、何食べたい?」

と言った。私は立ち上がって、

「何か作りましょうか」

と言った。


 私の作った玉子粥と、胡瓜のサラダを彼女は嬉しそうに食べてくれた。彼女は雄一のことを色々話してくれた。雄一は前から、私のことを飼い犬の“のんちゃん”に似ていると言い、のんちゃんが死んだ時、ご飯も喉を通らない程悲しんだと言う。

「あの子ね、かかりっきりで育てて無いから色々手落ちがあるのよ。情緒も滅茶苦茶だし、人間関係にも妙にクールで、色々とちゃんとして無いけど……優しい子にしたくてね、そこだけは必死に育てたの。あの子は、優しい子なのよ」

「ええ、分かります」

「あなたも優しい子ね」

彼女はにこにこしていたが、彼女の笑顔はどこか強過ぎて深い魅力が輝いていて、それでいてしんとした淋しさが染み込んでいた。彼女は胡瓜をぽりぽり食べながら言った。

「本当に好きなだけここにいてね。貴方がいい子だって信じてるから、あたしは心から嬉しいのよ。行く所が無いのは、傷ついてる時にはきついことよ。どうか、安心して利用してちょうだい。ね?」

私は何だか胸が詰まって、必死で言った。

「ちゃんと部屋代入れます。次住む所を見つけるまで、ここで眠らして下さい」

「いいのよ、気何か使わないで。それより偶に、おかゆ作って。雄一のより、ずっとおいしい」

と、彼女は笑った。


 私は5月が来るまでだらだらとすることを、自分に許した。そうしたら、極楽のように、毎日が楽になった。アルバイトにはちゃんと行ったが、後はそうじをしたり、TVを観たり、ケーキを焼いたりして、主婦のような生活をしていた。

 雄一は学校とバイト、えり子さんは夜仕事なので、この家に全員が揃うことはほとんど無かった。


 ある日、まだ残っている荷物整理の為に私は元の部屋に戻った。ドアを開ける度、ぞっとした。しんと暗く、何も息づいていない。見慣れていた筈の全てのものが、丸でそっぽを向いているでは無いですか。

 祖母が死んで、この家の時間も死んだ。私は思わず、おじいさんの古時計を口ずさんでしまいながら、冷蔵庫を磨いていた。

 すると、電話が鳴った。受話器を取ると、宗太郎からであった。彼は昔の……恋人だった。祖母の病気が悪くなる頃、別れた。

「もしもし?みかげか?」

「お久しぶりね!」

「いや、学校に来てないから、どうしたのかと思って聞いて回ってさ、そうしたらお婆ちゃん亡くなったって言うだろ。びっくりしてさ。……大変だったね」

「うん、それでちょっと忙しくて」

「今、出て来れるか?」

「うん」

公園の真横にある広い店で待ち合わせた。ここは学生カップルの時にもよく待ち合わせた場所だった。

「君、今さ。田辺んとこにいるんだって?大学中の話題だよ」

と宗太郎は言った。私はたまげて、持っていた紅茶のカップを傾けて、お皿にじょろじょろとこぼしてしまった。

「あなたが知ってることすら知らなかったわ。何なの?」

「田辺の前の彼女がね、田辺のこと学食でひっぱたいたのさ」

「え?私のことで?」

「そうらしいよ。だって君達今、二人で住んでるんでしょ?」

「お母さんも住んでるのよ」

「ええっ!嘘だろーっ」

宗太郎は大声で言った。彼のこの陽気な素直さを私は昔、本気で愛していたが、今はうるさいので凄く恥ずかしいだけだった。

「とにかく、良かったと思うよ。いつまで引き取られてるの?」

「わかんない」

「ちゃんと、考えなさいね」

彼は笑い、

「はい、心がけます」

私は答えた。


 その夜、雄一が外から帰り、ワープロを買って来た。

「そうだ。引っ越しハガキを作ってあげようではないか」

と雄一が言う。私が「まずくないの?」と訊いても、雄一は気にしていないようだった。私は、雄一が打ってくれたハガキをどんどん家のコピー機でコピーして、宛名書きをした。私が

「何か、このハガキが波紋を呼んで、学食で女の子に引っぱたかれたりしそうじゃない?」

と言うと、彼は

「さっきから、そのこと言ってたのか」

と苦笑した。彼の目をよく見たら、私は、彼が物凄く悲しんでいることが分かって来た。さっき、宗太郎は言っていた。田辺の彼女は一年間付き合っても田辺のことがさっぱり分かんなくて嫌になったんだ。田辺は女の子を万年筆とかと同じようにしか気に入ることができないのよって言ってる。しかし、彼にとっての万年筆と彼女にとってとでは、全然質や重みが違ったのだ。世の中には万年筆を死ぬほど愛している人だっているかも知れない。私は一カ月近く同じ場所に住んでいて、初めて彼に触れたと思った。

 でも、私がここにいることで彼等が別れたのが明白である以上、ここを出なくてはと思った。


 その時、えり子さんがジューサーを買って帰宅した。えり子さんは引越祝いとして私にバナナの絵が描いてあるグラスをくれた。

「わー、嬉しい」

私は、泣きそうになりながら言った。大切な大切なコップ。


 翌日は、元の家を正式に引き払う日だった。よく晴れた午後で、風も雲も無く、甘い陽ざしが私の部屋をすかしていた。子供の頃よく入った管理人室で、大家のおじさんとほうじ茶を飲んで話をした。彼も歳を取ったなあと思う。

――ついこの間までのこと全てが、何故か凄い勢いでダッシュして私の前を走り過ぎてしまった。台所の窓。友人の笑顔。夜遅くにかける電話越しの祖母の声。もう、そこにいられなくなったことの全て。


 外へ出ると夕方だった。淡い黄昏が降りて来る。私はバスに乗って帰った。同乗していた小さな、“ゆきちゃん”と言う女の子が、おばあさんに

「後ろ。お母さん寝ちゃってるよ。ゆきちゃん起こしてくるかい?」

と言われて、遥か後ろの席で眠る母親を振り向いて、笑う。いいなあ、と私は思った。私は羨ましかった。私には二度と無い。「二度と」と言う言葉の持つ、おセンチや限定のニュアンスは余り好きじゃないが、その時思い付いた「二度と」の重さや暗さは忘れ難い迫力があった。

 気付くと、頬に涙が流れて胸元に落ちているでは無いですか。たまげた。私は恥ずかしさで慌ててバスを降りた。思わず薄暗い路地へ駆け込み、自分の荷物に挟まれて、暗がり屈みながらもうわんわん泣いた。こんなに泣いたのは生まれて初めてだった。私は祖母が死んでから余りちゃんと泣いて無かったことを思い出した。何が悲しいのでも無く、私は色んなことに唯涙したかった気がした。

 ふと気が付くと、頭上に見える明るい窓から蒸気が出ているのが闇に浮かんで見えた。

――厨房だ。

 私はどうしようもなく暗く、そして明るい気持ちになってしまって、田辺家へと歩き出した。


 神様、どうか生きてゆけますように。


 私は田辺家に戻ってすぐ寝床に入ってしまった。私は夢を見た。今日、引き払ったあの部屋の台所の流しを私は磨いていた。前は嫌いだった床の黄緑色が、離れてみたら物凄く愛しかった。気付くと、後ろで雄一が雑巾を手に床を拭いてくれていた。そのことに、私はとても救われていた。

「ここが、君んちの台所かー。いい台所だったんだろうね」

「うん、そうなの」

「うちももう出るつもり何だろう?出るなよ。利用してくれよ。焦るな」

私は、うなずいた。

「ここが片付いたら、家に帰る途中、公園で屋台のラーメン食べような」


 目が覚めてしまった。夜中の二時だった。

「こんばんはー」

と言って、突然、雄一が後ろに来たので驚いた。雄一は言う。

「目が覚めちゃって、腹減って、ラーメンでも作ろうかなあ・・・・と思って・・・」

「夢の中でもラーメンって言ってたね」

すると、雄一はすごくびっくりした目できょとんと私を見つめた。

「ま、まさか」

私は言った。雄一はつぶやくように、

「君の、前の家の台所の床って、黄緑色だったかい?」

私はおかしくて、そして納得して、

「さっきは、磨いてくれてありがとうね」

それから私は雄一とジューサーでグレープフルーツジュースを作りながら、ラーメンを茹でた。このひと時は、物凄いことのようにも思えるし、何て無いことのようにも思えた。


「女になるのも大変よね」

ある夕方、唐突にえり子さんが言った。

「雄一を抱えて育ててる内に、そのことが分かって来たのよ。辛いことも沢山、あったわ。本当に一人立ちしたい人は、何かを育てるといいのよね。子供とかさ、鉢植えとかね。そうすると、自分の限界が分かるのよ。そこからが始まりなのよ。人生は本当に一遍絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかを分かんないと、本当に楽しいことが何か分かんない内に大きくなっちゃうと思うの。あたしは、良かったわ」

と、彼女は彼女の人生哲学を語った。愛すら、全てを救ってはくれない。それでもこの人は細い手で草木に水をやっている。

「分かる気がするわ」

「みかげの素直な心が、とても好きよ。きっと、貴方を育てたおばあちゃんも素敵な人だ
 ったのね」

「自慢の祖母でした」

「いいわねえ」


 ここにだって、いつまでもいられない――雑誌に目を戻して私は思う。いつか別々の所でここを懐かしく思うのだろうか。それともいつか又同じ台所に立つこともあるのだろうか。でも今、この実力派のお母さんと、あの優しい目をした男の子と、私は同じ所にいる。それが全てだ。

 もっと大きくなり、色んなことがあって、何度も底まで沈み込む。何度も苦しみ何度でもカムバックする。負けはしない。力は抜かない。


 夢のキッチン。私はいくつもそれを持つだろう。心の中で、或いは実際に。私の生きる全ての場所で、きっと沢山持つだろう。





 と言う訳で、以上が『キッチン』のお話でした。これは『ムーンライト・シャドウ』と言う作品集所収のようでして、ムーンライト・シャドウと言う別の単品の小説は、これは日大で学部長賞を受賞しているようです。

 ですが、どうも思うのですが、荒氏個人としては物足りないですね。それと、この人は改行の仕方が適当で、頻繁に改行し過ぎのような気がするのですけどね。まぁそれは兎も角。

 作風としてはアットホームですが、内容としては薄いような気がするのと、おセンチにならないよう・・・と言うことをこの作家は作品の中で述べていますが、どうもそれでもセンチメンタルになって仕舞って、無駄にかっこ付ける所があると思うのですね。新潮文庫で若干56ページ程の短編なのですが、別に賞を取る程じゃ無いのでは・・・?と思います。皆、文章の美辞麗句に誤魔化されていやしませんかね?読んでいて女性的な文章だなとは思いました。文体も軽いです。唯、途中でみかげと田辺が同じ夢を見たと言うオカルト要素を盛り込んでますが、これは盛り込む必要は無かったのでは?と思います。盛り込むなら盛り込むだけの意味合いを充分込めないと。

 よく味わうとそれなりに面白い小説です。読後感は爽やかですし、誰しもよく経験する別離の哀情や人の温もりをテーマにしているので、一般受けはすると思います。共感は得られやすいでしょう。唯、それだけに矢張り作品の“浅さ”が目立ちますね。悪く言ってしまうと、無理に綺麗事で結末を付けたと言う感じ何です。男であるにも関わらず、女として生きる道を選んだえり子さんの掘り下げが甘いです。それと、『キッチン』と言う内容の割に、余りキッチンが出てこないような気もします。キッチンにおける意味付けや哲学が矢張り甘いです。それと、感情を細かく描くのは結構ですが、感情表現の文章をぼかす表現は好かないです。あらすじにも書いてありますが、バスを降りてからどこぞの厨房を見て、「どうしようもなく暗く、そして明るい気持ちになってしまって」とありますが、僕としてはそこをもっと適確に表現して欲しいんです。読者にそれとなく察して貰うようなやり方はしないで、よく考えてきちんと書いて欲しい所です。経験しない人にも是非分かるように。まぁそれがいいと言う人もいるんでしょうが。

 と言うことで荒氏の評価は“いまいち”です。綺麗にまとめ過ぎないで掘り下げをきっちりして欲しいと言うのが僕のこの作品における最大の要望です。これで今回は終えることにします。

『夏の流れ』(著:丸山健二)

今回ご紹介しますのは、丸山健二さんの『夏の流れ』と言う作品で、これは芥川賞作です。


夏の流れ


丸山健二



丸山健二さんについて、軽く話してみたいと思いますが、彼は1943年生まれの長野県出身で、仙台電波高校卒業の学歴で、大学や専門学校を出てはいないようです。仙台にいる頃、ボクサーを目指したこともある程で、自分の思索を述べるよりも、観念や叙情表現を排して、行為と短い会話を中心にしたドライな作風に通じるものがあるようです。しかし、それが却って、凝縮した痛切な感動がこもっていると言えます。

この『夏の流れ』はテレックス・オペレーターとして勤務しながら書き継いだもので、これが文学界新人賞と芥川賞を受賞したのが切っ掛けで作家生活に入りました。当時23歳1カ月の受賞は芥川賞史上最年少で、随分話題になったようです。同じ23歳受賞者に大江健三郎さんがいます。今はその記録も19歳受賞の綿矢りささんに抜かれたようですが・・・。

丸山健二さんはその後も多くの作品を書き、幾らか映画化もされているんですが、大江さんと違い、芥川賞以降の文学賞受賞はとんと無いようです。今日では余り彼の名が挙がっておらず、作品も半ば古典化されているようです。では、あらすじに移りたいと思います。




――あらすじ――


 夏のある日の朝5時、<私>は起きた。<私>は寝床から起きて朝食を取り、妻と新しく生まれる子供の話をした。子供は3カ月後の冬に生まれる予定で、生まれれば7歳と5歳になる男の子に次いで3人目になる。妻はこの前入った、親子二人を殺した、体の大きい囚人についてどうしてるか訊いたが、<私>は相手にしなかった。

 <私>は支度をして、海沿いにある刑務所へ向かった。刑務所は高いコンクリート塀に囲まれていて、中は杉木立が生えている。私は若い看守と挨拶し、同僚の堀部と控え室で釣りの話をした。そこに新人の中川が入り、挨拶した。中川は自分を見る目付きが人と違う囚人について話をした。それは朝、<私>の妻が訊いた囚人だった。堀部は「相手にするな」と中川に言い、明日の釣りに誘った。

 死刑囚達の体操の時間になり、<私>は受け持ちの2階の片側で、囚人達の身体検査を行ってから、陽が高く昇る運動場に出た。運動場は狭い土地をコンクリートの塀で扇形に区切ってあり、一区切りの鉄格子の中に二人ずつ囚人を入れ、隣は見えないようになっていて、要に当たる部分に監視台があった。その日の監視は<私>と堀部の番だった。堀部は例の囚人に「話をするな」と怒鳴った。後で<私>が訊くと、「若い看守をなめるな」と話していたらしかった。若い看守とは中川のことだった。話の最中、例の囚人がこちらを睨んでいたので、堀部は「何か用か?」と彼に言った。囚人は鉄格子を掴んで食ってかかり、看守と言う職業を安月給の人でなしと罵った。<私>が止めた為、堀部は手を出しはしなかったが、顔中の筋肉を引きつらせ、腰の警棒に手をかけていた。それから、今度の死刑執行の当番は自分と中川だと、<私>は話した。中川はこれまでにまだ、執行に立ち会ったことが無かった。

 二日後、例の囚人の死刑執行日が決まった。珍しく面会人は無く、弁護士も来なかった。死刑囚は皆、詩や短歌等を習わされていたが、その囚人は文字を知らないので鉛筆を取らなかった。囚人達の入浴時間を告げるホイッスルが鳴った。中川は階上の囚人の数だけポリエチレンの洗面器を取りに行き、私は受け持ちの部屋を覗いて回り、囚人が起きているかを確かめた。例の囚人は正座していたが、熱く鋭い目で私を睨みつけた。

 <私>と中川で囚人達の身体検査を行ったが、中川が例の囚人の身体検査を行う際、例の囚人は中川をいきなり殴り出し、強く腹を蹴り上げた。看守達は他の囚人を部屋の一ヶ所に集めて取り囲んだ。主任は非常ベルのボタンに手をかけたが、押しはしなかった。私は囚人を押しのけ、狭い通路を一気に走り、中川のもとへ向かった。その囚人は、中川の拳銃のケースの蓋に手をかけている最中だった。私は警棒で囚人の後頭部に一撃を与え、囚人は失神した。中川に手錠をかけるよう言ったが、動く意志は無かったので、<私>が手錠をかけた。

 <私>は主任の指示で中川と一緒に、囚人を連れて調べ室に向かった。係官は囚人の暴行について訊いてきた。係官は囚人が看守の拳銃を奪おうとしたか尋ねたが、主任が首を強く振り、密かに<私>に否定するよう合図した為、<私>はそんなことは無かったとはっきり答えた。中川の右腰の皮ケースの蓋は開いていて、撃鉄がのぞいていた。係官はそれをチラリと見たが、何も言わなかった。囚人は<私>の言を否定したが、係官は「お前に訊いているんじゃない」と静かに制した。

 取り調べは終わり、私と中川は部屋を出た。廊下を曲った時、囚人の大声がしたが、それきり又静かになった。
 陽の沈む頃、<私>は刑務所から家に帰った。夜遅くなって、<私>が寝ている所に、中川が<私>の家を訪ねて来た。中川は酔っていて、人を殺す看守の仕事を辞めると言って来た。<私>が中川を帰らせようとすると、中川は泣きじゃくり出したので、<私>は中川に、月曜日の執行日は堀部と替わるよう、自分が主任に言っておくと話した。

 次の日、中川と堀部と3人で山に釣りに行った。昼飯の時に、<私>は独身の中川に、妻の握った握り飯をやった。食べながら釣りをする堀部が大声ではしゃぐので、<私>が

「そんなでかい声出すなよ。全部、逃げて行っちまう」

と言った。

「逃げたってすぐ戻るさ」

「囚人みたいにか」

「俺達の囚人は戻らないがな」

堀部の冗談に中川は少し笑った。1時間で30匹程釣ると、<私>は例の囚人の死刑執行を、中川と替わるよう、堀部に言い、昨晩のことを話した。堀部は了承し、次からは自分でやるよう中川に言い、例の囚人は子供の両足を掴んで、二階からコンクリートの道路に落としたんだと話した。<私>がそれに付け足して言った。

「奴ら、人間じゃないんだ。形は人の形をしているけどな。どんな優秀な機械にしたって、数多く作る内にゃ必ず不良品を出すだろう。その不良品はどうする?捨てるより他無いんだ。人間だってこんなに多くいれば同じことさ。不良品をそのまま使う訳にはいかないんだ」

 翌日の月曜日、<私>は堀部と控え室で支度を整えた。ひどい雨降りの日だった。サイレンが鳴り、大勢の人が例の囚人の部屋に向かった。先頭は上背のある所長、その横にがっちりした主任があり、その後には3人の係官(その内の一人は例の囚人の暴行の調書を取った者)、最後に太っちょの巨体の神父がいた。廊下に特別に並べられた木の椅子に全員は座り、その後30分間、誰も喋らなかった。<私>と堀部は二人して階上にある例の囚人の部屋の前に立ち、監視していた。

 夜の12時になり、階上にいる<私>と堀部に主任は合図をした。同時に皆、椅子から立ち上がった。錠をさして扉を開けると、囚人は毛布にくるまって眠っていた。名前を呼んだが起きないので、堀部が後ろから羽交い締めにして一振りし、目を覚まさせた。<私>がすかさず手錠をかけた。<私>は片手の手錠を時折外しつつも、純白のひとえを囚人の体に通してやった。

 それから皆で外に出て、雨に濡れながら処刑室へ向かった。その間、神父は囚人に「もう少しの辛抱だ」と励ました。

 処刑室の前の部屋の中央には、白い布を敷かれ、何本ものろうそくが立つ霊壇があった。<私>と堀部は霊壇の前にある椅子に囚人を座らせ、神父は聖書を開き、女のような声でいつもの説教と祈りを行った。

「これから、あなたはあたしの犯した罪が消え、神のもと、天国に導かれて行くのです。恐れる心配は無いのです。恐れる事は何も無いのです」

その時、囚人が前のめりに神父の足元に倒れ転がった。神父は素早く後ろに飛びのき、聖書を床に落とした。神父は再び説教を続け、聖書の文句を唱えるよう囚人に言ったが、囚人は恐怖から、視線を左右に早く動かしていた。

「あなたの手をこの上に乗せなさい。そしてアーメンとだけ唱えるのです」

そう神父は言い、黒いなめし皮のカバーの聖書を囚人の目の前に出した。堀部は人差指と中指で聖書を囚人の手錠の鎖に引っ掛け、持ち上げてやった。そんな気の利いた事をする者は、看守仲間でも堀部だけだった。

 囚人は口の先を動かしてアーメンを言ったが、口の中は乾いているので声にならなかった。所長が前に出て「何か言い残すことは無いか」と尋ねたが、囚人は聞いていなかった。所長はタバコを差し出し、囚人はそれを吸ったが、激しくむせて、タバコの灰はいくらも溜まらない内に床に散らばった。所長はもう一本新しいタバコを出し、囚人の口の端に引っ掛けたが、囚人は吸い込ま無かったので、タバコの先は黒く焦げ、すぐ消えた。

 処刑室は暗く、裸電球が一つ点いていた。<私>は堀部とわめき叫ぶ囚人を処刑台に上げ、中央に立たせた。<私>は黒い頭巾を囚人の頭から被せて紐を締め、堀部は両足を皮紐でくくった。囚人は大声で、誰かの名前を思い出すままに叫んだ。その中には何人かの女があり、最後に、囚人と同姓の女の名前を続けて叫んだ。<私>は堀部と麻縄の輪を囚人の首に掛け、身を引いた。強い稲妻が光った。バタンと踏み板が弾け、囚人は下に落ち、台の上は二人になった。麻縄の直線は、ゆっくりと大時計の振り子のように囚人の死を刻み、揺れた。

 規定の時間が終わり、ストップウオッチを持った検視官と医師が処刑台の下の扉を押して入り、麻縄がゆるんで穴の中に降り、だらんとだるんだ。

 <私>と堀部が控え室に戻ると、背広を着た中川がソファに座って待っていて、辞職を告げた。「さようなら」と中川が部屋を出ていくと、堀部が

「中川の顔見たか?」

と言って来た。

「少し震えていたな」

「町の真ん中で蛇に会ったって顔だよ」

堀部は立ち上がり、私のタバコを一本抜いた。

「何だか腹が立つな」

「俺もだ」

堀部は窓まで大股に歩き、カーテンをさっと引いた。陽が眩しく部屋を照りつけた。

 処刑の翌日の特別休暇、<私>は二人の息子と妻を連れて、近くの海に行った。妻は岩陰に赤白の縞のパラソルを広げ、砂の上に大きいビニールを敷き、バスケットからパンやジュースを出した。<私>が泳ぎ疲れて、ビールを飲んでいると、妻が<私>の顔を見て訊いた。

「どうかしたの?」

「何も」

「だって変よ。きのうから」

「そうかな」

子共達の築いた砂山がちょっとした波に崩れた。「あっ」と妻が小さく叫び、赤ちゃんが動いたと話した。

「子供達が大きくなって、俺の職業知ったらどう思うかな?」

と<私>は話した。

「どうして?あなた今までそんな事言ったこと無いわ」

「そうか。唯、思ってみただけだ」

 漁船の群れが一斉に汽笛を鳴らした。驚いた海鳥が波間から飛び立ち、旋回しながら高く空に吸い込まれた。妻が大声で子供を読んだ。子供達は足を砂だらけにして走って来た。



さて、この作品に対する芥川賞選考委員の評価を閲(けみ)してみましょう。

http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/senpyo/senpyo_note.htm
を参考にしています。◎は積極的な賛成。○は中立的な賛成。△は態度不明で、●が積極的な反対、■が中立的な反対、最終的な反対です。この時の選考委員には三島由紀夫さんがいるんですよねぇ。興味深いです。ちなみに本作は講談社文芸文庫で若干、75ページ程です。



三島由紀夫:△
「当選作として推したわけではないが、この授賞に積極的に反対では無かった。男性的ないい文章であり、いい作品である」

「人物のデッサンも確かながら、妻の無感動もいいし、ラストの感懐もさりげなく出ている」

「しかし23歳と言う作者の年齢を考えると、あんまり落ち着き過ぎ、節度があり過ぎ、若々しい過剰なイヤらしいものが少な過ぎるのが気にならぬでは無い。そして一面、悪い意味の“してやったり”と言う若気も出ている」

瀧井孝作:○
「日常生活の何気ない中に不気味なものを蔵したこの作は、以前の、庄野潤三の『静物』と言う小説の方法にも似通うかと見えた」

「何気ない題も良い。生命の流れの意味もあるようだ」

井上靖:△
「一種爽快さの感じられる書き方である。作者が最年少であるにも関わらず、候補作の中では、この作品に一番腕の確かなものを感じた」

「このような題材は、本当はもっと他の取り扱い方をすべきものでは無かったかと言う、そういう思いが、読み終わった後に残った」

石川達三:●
「私は『夏の流れ』を採らない。この作者にも期待を持っていない」

石川淳:■
「作者は23歳だそうだが、この作品の限りでは冒険的な青春は感じられない。書くことは一応よく書けている」

「ただ冒険の無い所に私は賭けることはできない」

永井龍男:◎
「最後の一票を入れた。題材に圧されることなく、一貫した呼吸づかいで、寧ろ鈍重な筆致で書き上げた点が良かったし、作者の若さにも期待が向いた」

大岡昇平:○
「死刑執行担当者の心理の洞察においても文章においても、自己統制ができている」

「芥川賞は本来若者のものなのだから、授賞は当然と言えよう」

「看守の日常生活が、余りしゃれているので、少し違和感を覚えたが、これは私が古い先入観に捉われているからであった」

川端康成:△
「決定して、作者の丸山氏が23歳の若さと知ったのには、明るい楽しさであった」

「殊に看守の家庭生活などは、監房の死刑囚や死刑執行の場に対して、わざと平凡に常識風に書いてあるかと思われるが、今後の作品で平凡は抜けられるだろうか」

中村光夫:◎
「意外に早く決定しました」

「どぎつい題材を扱いながら、それにも関わらず、軽く仕上げた所が作者の人柄を感じさせますが、看守の家庭の描写に生活の匂いが欠けていて、全体が絵にかいたようなきれいごとに終わっています」

「処女作にこれだけのものが書ける若い才能は、多少冒険でも買ってよいでしょう」

船橋聖一:◎
「作者はまだ若い人だし、看守の経験があるわけでも無く、小説の構成に聞き書きのような点もあるので、若干の疑問を感じたが、他の諸作品に比べて、はるかに迫力があった」

「看守の私生活、家庭生活の描写が長々しくて、少し退屈した。この非人間的な死刑執行に対する作者の批判を加味したら、もっとまとまった好短編となったろう」




では、最後にここに紹介した荒氏自身の評価を添えて、この作品の紹介は終えようと思います。

荒氏:■
「授賞年齢はともかく、抑制が利いていて、確かにむらの無い、安定した構成の作品になっている。唯、こう言う自然主義は結局、作者の意図を上手いことぼかしてしまうような気がするし、叙情を排し過ぎていて感情移入がしにくい。よくよく読み込むと、登場人物それぞれのエゴがさり気なく描写されていることに気付くが、諸選考委員の苦言にあるように、もっと自己の思索と主張を込めた方が、ぐっと来る短編になったかと思う。僕が選考委員だったら授賞には推さない」




『知的創造のヒント』(著:外山滋比古)

今回ご紹介するのは、外山滋比古さんの評論、『知的創造のヒント』です。
知的創造のヒント

 この人は1923年生まれで、英文学者であり、言語学者です。↓
外山滋比古

 文学的な評論、特に方法論が多く、国語の教科書や大学入試問題の頻出著者としても有名何ですよ。対策したい方はこのページを読め。経歴は、愛知県出身の、東京文理大学英文科卒業らしいです。



~あらすじ~

        
< 序 啐啄の機 >


 啐啄(そったく)の機と言う言葉がある。「啐」は卵の中で雛が孵化しようと卵をつつくことで、「啄」は親鳥がそれを手助けしようと外からつつくことを意味する。呼吸がぴったり合うと言う意味から、そのような人物は得難いと言うことで、得難い好機と言う意味にも転用される。アイデアと言うものもこの卵と同様のものである。そのように、本書はそのアイデアや思考が、無事孵化するのを手助けする為の方法を述べたものである。

< 1 忘却のさまざま >


――忘却恐怖――

 小学校に入ってからこの方、我々はものを覚えることに明け暮れて来て、ものを忘れてはいけないと言うことがほとんど本能的な怖れになっている。ものを覚えるだけが能では無く、それを基本にして考えるのが大切な筈なのに、記憶第一主義が確立してしまった。

 過ぎたるは及ばざるがごとし。ことごとに記憶を尊重するものだから、忘れたいことまで忘れられなくなる。忘却はいわば下水道みたいなもので、詰まったらことだ。その詰まり方が酷いと、色々面白く無い現象が現れる。小さなことばかり覚えていて、肝腎な大局を見失う。精神が倦怠、不活発を訴える。果てはノイローゼ症状を呈する。

 睡眠は肉体の疲れを休めるのは勿論だが、頭の中の整理をする時間でもある。朝、目を覚ますと頭がすっきりして爽快なのは、整理すべきものが取り除かれているからで、つまり、頭が良くなっている為である。睡眠は自然忘却の装置であるのに、忘却を恐れる余り、知らず知らずの内に、その装置を働かないようにしてしまっていることが少なくない。そこで、寝つきの悪い人間が多くなってくる。

――先立つ恐怖――

 忘れようとしてみると、これが案外、どころか、酷く難しいことが分かる。心にかかることを忘れられ無くて、それが度重なると、気が重くなり、ストレスになる。

 知的な活動において、もし、労働のみ考えてレクリエーションが充分考慮されていないとしたら、それは随分おかしなことになる。

 
――カタルシス――

 アリストテレスはカタルシスと言う仮説で芸術の弁護をした。人を殺す芝居を見て、観客が快感を覚えるのは、我々人間の中に生ずる有毒なものを演劇と言う下剤で浄化(カタルシス)するのだと説明した。芝居もレクリエーション、忘却の一形式と考えられる。酒の効用もカタルシスの効用であるとしてよかろうし、スポーツや入浴、散歩も効果がある。

 そうすると、心は白紙状態になる。思考が始まるのはそれからである。自由な考えが生まれるには、邪魔があってはいけない。ぼんやりしているのも、ものを考えるには中々良い状態と言うことになる。勤勉な人にものを考えないタイプが多いのは偶然では無い。働きながら考えるのは困難である。

 ものを考えるには、適当に怠ける必要がある。その為の時間がなくてはならない。

 
――自由――

 ながら族と言うのがある。ラジオを聴きながら勉強する受験生がその走りだったと言われる。そんないい加減な気持ちで何ができる、集中しなくては、と大人はやかましく言うが、考えてみると、ながら族にも言い分がありそうだ。

 全くの静寂は却って落ち着かず、一種の騒音効果を持つから、それをうっすら抑えてやる方がいい。

 精神を自由にするには、肉体の一部を拘束して、いくらか不自由にする方がいいらしい。中国の宋時代の詩人、欧陽修(おうようしゅう)が三上として、馬上・枕(ちん)上・厠(し)上を妙案の浮かぶ場所として優れていると考えたのも、それぞれ、完全に自由にならない立場にあるからだと言えそうである。三上はささやかな日常性からの遊離である。


< 2 自力と他力 >


――グライダー効果――

英語の会話をしなくてはならないと言う日の朝、英語のレコードを聴いておくと、そうしない時より確実に言葉が出やすくなる。外国語で文章を綴る時も、その直前に、お手本になる英文をしばらく読んでから執筆にかかると、確かに書きやすくなるように思われる。

 これを例えて言えばグライダーのようなものである。お手本になるものに引っ張ってもらうと、飛び上がって空を滑る。唯、グライダーの泣き所はたちまち落ちてくることである。真似は身に付かないで、すぐはげる。

 考えてみると、教育と言うのもいくらかはグライダー効果を狙っているように思われる。学校の成績の優秀な学生が、卒業論文を書く段になって思いがけない混乱に陥ることがある。学校教育がグライダー訓練しか考えないのは奇怪である。

――思考の木――

 モノを移すのに三つの方法がある。

 一つは、例えば椅子をAの地点からB点へ移すような物理的移動。もう一つは、中国のパンダを東京の動物園へ連れてくるような動物の移動。パンダはうっかりすると死んでしまう。もっとデリケートなのは植物の移動である。花の咲いている木を移そうとするのに、枝だけ切ってきたのでは移したことにならない。どうしても根から掘って移植する必要がある。

 切り花は根が無いから、たちまち、枯れてしまう。学校で教えるのは、つまり切り花の売買であって、花はいかにして咲かせられるかと言う思想の園芸学では無い。移植した花を咲かせるには、一年や二年は花は咲かないと覚悟した方がいい。植物の移動に焦りは禁物だ。

 明治以来、我々の社会は海の彼方に咲く文化の花に心を奪われ、切り取って来た切り花文化であった。これでは独自の花を咲かせることに成功しなかったとしても、当然であろう。どうすればよいかと言うと、先ず植物的生命をもつものを移植し、理解する。次いで、それから新しい花を咲かせる。これが独創である。そういう思想の園芸学について、我々はほとんど何も知らない。それで、切り花を並べてさも花を持っているように考えて来た。

――カクテル――

 知的創造と言えば、先ず論文が頭に浮かぶ。しかし大抵は、権威ある学説を適当にミックスさせた結論を引き出す、折衷主義である。こう言う論文に人を酔わせる力があるのは論文筆者の手柄と言うよりは、引かれているもとの説の持っている力による。例えて言えば、バーテンが種々の酒を混合したカクテルのようなものである。しかしバーテンはもととなる酒を作った訳では無いのに、酒を造っているような勘違いをする。上手いカクテルを作るのも一つの芸だが、カクテル作りは酒造りでは無いと言うことをわきまえるのは大事なことである。

 近代文化はおびただしいカクテルを生み出したけれども、そのもとになっている酒を造ることにかけてはまだまだ未発達の段階にとどまっている。

――酒造り――

カクテルのように酒を材料にして酒を作るのは加工であって創造では無い。現在我々が継承している文化、学問、知識は、かつて醸造された酒の集積である。学校ではバーテン向きの勉強が重要な地位を占めていて、教育程度の高いことが、必ずしも創造性の高さと
比例しない。

――アナロジー――

 カクテルは他力本願である。知的創造は他のものを失敬したり、加工したりして生まれるものではなく、自分の頭の中の化学反応によってのみ可能である。酒から酒を作るのは本道では無い。酒で無いものから酒が造られなくてはならないのである。

――比喩的――

 知的創造をこのように考えていくのは、アナロジーの方法である。グライダーと飛行機、切り花と思想の木、カクテルと地酒、いずれも比喩である。

 我々の社会には、こう言うたとえ話を余り喜ばない傾向がある。アナロジーは問題の新しい面を示してくれる利点があると同時に、対象の誤った捉え方をする危険をもはらんでいる。

 しかし、アメリカの哲学者スーザン・ランガーは『新基調の哲学』で次のように述べている。

「哲学的思考は、先ず、不完全な、しかし、熱烈な新しい概念から出発し、次第に厳密な理解が得られるようになり、やがて最後に、言語が論理的洞察に及ぶようになる。そこで比喩が捨てられ、文字通りの記述がこれに代わる。真に新しい着想は、それまでに用いられている言語では名称が無いのだから、最初は常に比喩的記述を借りなくてはならない」

< 3 着想 >


――「妙想はどこから生まれるか」――

「人間、何が愉快と言って、いい着想を得るほど愉快なことは無い。ずっと考えていて、余り考え過ぎていささか疲れる。それでしばらく忘れるともなく忘れていると、突然、さっと妙案が閃く。・・・ことに重要なアイディアに限ってこういうことが多い」

これは『エクスプレイションズ』(Explations)と言う題のついたアメリカの教科書の書き出しの文章である。『エクスプレイションズ』は“読書、思考、討論、作文”の為のテクストブックで、紹介した文章は、思考法のセクションの第二番目のエッセイ「妙想はどこから生まれるか」の冒頭である。筆者のL・ホワイトは科学者だと言う。

 我々の国では発明とか発見は神秘的なこととしてほとんど論じられることが無い。二口目には“考える”とはどういうことかすらほとんど考えたことが無くて大人になる。

――着想は奇襲する――

 見つめられた鍋は中々煮えない、と言う諺がある。神経を使い過ぎるとそれが仇になって、逆効果になることが少なくない。ものを考えるには、ぼんやりしているのが理想だとされるが、何もしないでいるよりは、何かに“従事”している方がよいらしい。

 作曲家ワグナーは“ニーベルンゲン”の主題を頭に宿して数年、何とか実際の作曲に取りかかろうとして数カ月苦しみに苦しんだが、1863年9月4日の夜、体調を崩してよく眠られず、翌日は長い散歩をして、その午後ベッドに横になったら、半ば恍惚の状態に陥って、深い水底へ沈んで行くような思いがすると、それまでうるさかった外の騒ぎが突如として彼の頭の中で楽音に変じたと言うのである。数学者ポアンカレは、およそ半月の間、毎日机に向かって何時間も函数論について考えていたが、ふと寝る前にコーヒーをブラックで飲むと、頭の中を沢山の考えが踊り回り、それがお互いに衝突し合っている内に、偶然ある二つのものが結合し、自然に安定した組み合わせを作り上げた。朝になってポアンカレは彼の函数論の一部が証明されたことを確信した。

 哲学者デカルトは長い間、確実不動なものを求めて書物を読み、人の教えを乞うたがいずれも空しかった。ところが1619年11月10日、夢の中で、求める不動絶対のものは自分の思考の中にあると言う決定的発見をした、と言う。これが有名な“われ考う、故に我あり”である。

――種子を寝かせる――

 モーツァルトは「魔笛」のメロディーを玉突きをしているときに思い付いたし、ベルリオーズは水泳で飛び込みをして、水中を浮上してくるとき、久しく探し求めていた楽章が
自然に口をついて出た。ウィリアム・ハミルトン卿はダブリンで婦人と街をぶらぶらしている間に数学の発見をしたし、化学者のケクレはロンドンのバスの“二階”に乗っているとき、中空に原子の乱舞を見て新しい理論を思い付いた。

 着想の現れ方の癖を知った天才達が、待ち伏せして成功した例も少なくない。ハイドンは多作で有名な作曲家だが、「思うように考えが進まない時は、思い切って仕事をやめ、ロザリオを持って祈祷堂へ入り、アベマリアの祈りを捧げると、考えが浮かんでくる」と告白している。モーツァルトは「馬車に乗っているとき、たっぷり食事をした後の散歩、眠られぬ夜などには、いくらでも考えが沸いて来る」と誇った。蒸気機関改良のジェイムズ・ワットはゴルフのクラブハウスまで歩いていく途中でアイディアをつかんだし、ドイツの科学者ヘルムホルツは「素晴らしい考えは、晴れた日にゆるやかな山の斜面を登っていくとき、ことによく生まれる」と言う観察を記している。発見や創造に心を砕いた人達は申し合わせたように、アイディアが浮かんだらすぐ記録出来るように小さな紙片を持ち歩いている。

 小説家スコットは“寝て考える”タイプであった。彼はよく言ったものだ。「くよくよすることは無い。明朝7時には解決しているさ」。ガウスと言えば史上有名な大数学者だが、ある発見の記録の表紙に“1835年1月23日、朝7時、起床前に発見”と書き入れた。生理学者・物理学者のヘルムホルツも、朝目を覚ますと同時にいい考えが浮かんだと言う。

 こうして考えてみると、どうも考えは一度水にくぐって来る必要があるように思われる。考えの種子はしばらくそっと寝かせておくのである。その間に種子は精神の土壌の中で爆発的発芽の瞬間を準備する。

――セレンディピティー――

 昔、セイロンに三人の王子がいて、思いがけないものを掘り出す名人だった。彼らが当面探しているものでは無い別の素晴らしいものを探し当てると言うことを筋にした童話が
あった。それが18世紀のイギリスで、「セレンディップの三人の王子」と呼ばれた。セレンディップとはセイロン、今のスリランカの元の名。

 ホレス・ウォルポールと言うイギリスの小説家が、この童話をもとにして、セレンディピティー(serendipity)と言う語を造り、偶然に思いがけない発見をすることの意味に使った。1754年1月28日、友人あての手紙の中で、初めてこれを用いたと言う。

 セレンディピティーは心の目を一定の方向に釘づけておくよりも、関心の範囲を広く取る方が望ましいらしい。

 又、考えるには、余り勤勉であり過ぎるのも良く無い。空白と見える時間の間に、ナマな思考が熟して発酵が準備されるのである。どんな忙しい人間でも、夜は必ず寝るが、この休息こそ創造的思考にとっても、もっとも重要な苗床となる。全てを忘れて眠っているようであるが、その実は意志の力ではどうにもならない超随意的な思考が進められているらしい。人間は眠りながらも考えているのだ。

< 4 比喩 >


――大きな犬――

 子供は極めて短期間のうちに母国語を身に付ける。例えば幼児がイヌと言う言葉を覚える時、先ずはいつも白い犬を見て、周りの者がそれをイヌだと言う時、自分の見ているものとその言葉に関係があるだろうと察しを付けて、それをイヌだと思う。しかしこれは固有名詞のようなもので、いつも見ている白い犬しか適用できないように思っている。

 そこに黒い犬が現れたとする。これに対しても周りの者がイヌだと言うと、幼児は多少の試行錯誤をして、イヌと言う言葉をその黒犬にも転用する。この時、はじめ固有名詞であったものが普通名詞に変わるのである。これは比喩的表現である。これをそのまま応用して、豚を大きい犬と幼児は使おうとするかも知れないが、それには既に豚と言う名詞があるので、すぐに修正される。

 比喩は固有名詞を知らない時や、確立した名前が無いものによく用いられるらしい。戦後、UFOが話題になった時、人々は“空飛ぶ円盤”と呼んだ。余り気の利いた比喩では無いが、無いよりはマシだから広まった。
 同様に、変動為替のことを、英語ではフロート(浮動)と言う語を比喩で用いる。これはイギリスの新聞「ガーディアン」が1965年初めて使ったのがたちまち広まったものである。

――綽名の創造性――

 綽名を付けるのも比喩作用によることが多い。黒ブチ眼鏡をかけているからその者を“ト
ンボ”と呼んだり、ナフタリンは虫が好かないことから、嫌な奴をナフタリンと呼んだりするのがそれである。

 面白い綽名はかなり創造性を秘めているように思われる。言語表現の手段が限られている時には広義の比喩が、認識と表現の第一原理にならなくてはならない。“時の流れ”と言う言葉の“流れ”は厳密に言うと比喩であるが、今ではこれを比喩と感じる人はいない。長さの単位の尺は、もと手首からひじまでの長さであるが、誰も比喩であるとは思わずに使っている。英語の長さの単位フィートも足の長さにもとづくものである。

 こういう比喩は、比喩と思われない位に通用しているもので、言わば“死んだ比喩”である。

――創造的比喩――

 優れた比喩は思考を節約し、全体を把握するのに有効である。比喩と言えば修辞学の技法の一つに過ぎないと見過ごされてきたが、認識や創造の基本として見直されなければならないだろう。T・S・エリオットは詩の創造を、触媒作用と言う化学反応を比喩に説明して人々を驚かせた。戦時中には“闇市”、“からす部隊(炭の買い出し集団)”、“たけのこ生活(着物を売って食べ物に替える暮らし)”等、色々な生活的な比喩の新語が登場し、秀逸なものが少なくない。比喩が活発な精神活動を象徴するのは先ず間違い無い所である。

――朝飯前――

 一夜眠って、きれいに記憶が洗われる朝は創造的思考に適する。朝早く起きられない人はこの一日の内の頭の一番条件の良い時間を台無しにしてしまう。誠に惜しい。

 早起きしろと言ってみても、急に早起き出来る訳が無い。早く起きられなかったら、せめて朝食を抜くことだ。朝食時に胃の周りに召集される血が頭の方へ行くので、仕事もどんどん進む。力士は激しい身体運動をするにも関わらず、朝食をとらないで稽古をする。
その後でたっぷり昼食をとる。

 医者に言わせると、朝何も食べないのは健康に悪いそうだが、少し位悪くても、頭を良い状態にしておくと言う大義名分があるのだから、敢えて朝食を抜くべきだ。何百万と言う人が煙草をのんでいるのを考えたら、朝飯抜きくらい何でも無いことだ。

< 5 すばらしきかな雑談 >


――月光会の華麗なる談笑――

 ジョゼフ・プリーストリーは酸素の発見者である18世紀の化学者だが、「私の学問上の
仕事は大半、例の会で仲間から受けた励ましのおかげでできたようなものだ」と述懐した。

 “例の会”とは月光会と言うもので、月一回、満月の晩に集まった会合である。1770年代にスコットランドのエディンバラで催され、蒸気機関の発明者ジェイムズ・ワット、そのエンジンをこしらえたマシュー・ボールトン、ガス灯の発明者ウィリアム・マードック、印刷業者バスカヴィル、天文学者ウィリアム・ハーシェル卿等が常連で、中心的存在はチャールズ・ダーウィンの祖父で全米随一の名医とうたわれたエラズマス・ダーウィンである。

 プリーストリーは宗教を語って有名なクウェーカー教徒サミュエル・ゴールトンと渡り合い、語学教育改善案を出したりした。『学校英文法基礎』と言う著書まである。

 月光会と同様に、ロンドンでは文豪ドクター・ジョンソンが中心になって料亭「タークス・ヘッド」で談論を風発させていた。このグループはやがて「文芸クラブ」を名乗るようになり、名演説家エドマンド・バーク、肖像画家ジョシュア・レノルズ卿、小説家オリヴァ・ゴールドスミス、歴史家エドワード・ギボン、俳優デイヴィッド・ギャリック達が常連で、それぞれ目覚ましい業績を残している。

 これらが近代英国の発展のエネルギーを創り出したと考えるのは、あながち荒唐無稽では無い。

――雑談の効用――

 アメリカでも、1909年、ハーヴァードの総長に就任したロレンス・ローウェルは、特別研究生の会を造り、毎週専門外の人達で語り合って、やがて総長の夢をかなえる学者が続々と巣立って、ハーヴァードの名を世界に響かせた。

 同じ分野の学者が集まっても素晴らしい成果を残した例はあり、“ロゲルギスト”と言う
日本人物理学者のグループでは、近角聡信、磯辺孝、近藤正夫、木下是雄、高橋秀俊、大川章哉、今井功らがメンバーで、1959年2月以来、雑誌「自然」にロゲルギスト・エッセイを発表している。それをまとめた本が『物理の散歩道』として出版されて既に7冊になる。

 英文学者である外山滋比古自身も、国文学者鈴木一雄と中国文学者鈴木修治と“三人会”
を開いて昭和30年頃から楽しく談論し合い、実り多い勉強になった。

――「手前」封じ――

 往々外国語を話す際は、周りに知っている日本人がいると話しにくい。外国人だけの中へ一人放りこまれた方が気楽なように思える。これは友人の「手前」体裁を気にするからである。

 同様に、専門外の人達の会合は、それ自体に優れた価値があるとは思わないが、専門外であるだけに「手前」を気にせずに語り合えるから面白いのだろう。

――コモンセンス――

 アメリカで一時盛んに言われたブレイン・ストーミングは自然なクラブ的雑談に代わってアイディアを得る為のチームをこしらえる技法で、いくらか殺風景である代わりに能率がいい。

 そのブレイン・ストーミングのルールの一つに、他の人の提出するアイディアが例えどんな陳腐なものであっても、決してつまらないなどと言ってはいけない、と言うものがある。これはアイディアを臆せずに提出してもらう為だが、もう一歩進んで考えると、ただ水をかけるような言葉を吐かないで感心したり、励ましたりするようになれば一層クリエイティブになるのでは無かろうか。周りが興味を持ち、素晴らしいと言って励ます時、知的会話は最高度に感動的なものになる。

 近代文化は物事を細分化し、専門に区切ってその範囲内で深化をはかって一般化への展望を失いがちだったが、こうした談論は見失われがちなコモンセンスをよみがえらす。

 大雑把に言うと、ドイツの専門分化による厳密な思考に対して、イギリスの文化は経験にもとづいた素朴さのようなものが特色になっている。それでいて、イギリスからしばしば驚くべき大発見、大発明が生まれる。これは18世紀に発するコモンセンスの哲学のおかげだと見て良い。

 我々日本人はこれまで、特に戦前はドイツ風の観念論に傾いていたが、コモンセンスに目を向ければ、従来とは違った創造が可能になるかも知れない。現在、東京には2万件の喫茶店があり、コーヒーを飲みながら話の火花を散らしているグループの例のあることも知っているが、多くは余りに風俗的であり過ぎるように思われるが、いかがであろうか。


< 6 出家的 >


――空気――

 人間、生きていくには色々うるさいことがある。一々それを気にしていては頭がどうかなってしまう。そういう時、ある日、感ずる所があって断然、新しい生き方をしようと意を決したとしても、家族や友人、勤め先が善意の干渉をして自分の自由を拘束し、最も親しい人達が自由になる為の最大の障害だと言う悲しいパラドックスが成立してしまう。真に自分の理想を追求するには、生存そのものの条件あるような諸々の絆を敢えて断ち切らなくてはならなくなる。断ち切る。それが出家である。

 自由にものを考えようと思ったら、心の中は出家の状態にあることが望ましい。執着ほど自由な思考を妨げるものは無い。

――執着と遊び――

 執着と言うものは視野を狭めたり歪めたりしてしまう。そこで遊びを入れることで嫌な関心を相殺し、心に空白部を作ることが大切になってくる。暇だから遊ぶと言うのでは無く、寧ろ忙しくて心にかかることが多い時にこそ、遊びと言う出家が必要である。

――出家的状況――

 現代においては全てを投げ出して山に籠る出家を敢行する人が余りいない。しかしその気になれば、ひとときの出家的心境を味わうことはいくらでも出来る。自棄酒はその一つである。体に良くないと言われるが、飲まずに耐える精神的な害の方が大きければ、それを承知の上で飲む。小悪につくのは賢明である。

 もう一つ穏やかな形式としては散歩がある。満員電車にぎゅうぎゅう詰めにされるのも、
体の自由は拘束されているが、心の方は却って他にすることも無く自由に遊ぶことが出来る。

 我々日本人は風呂好きである。そこで銭湯に行くのも考えごとをするには好ましいだろう。シラクサの哲学者アルキメデスは王からから依頼された実験(王冠が純金であるか、細工人によって銀を混入されたかをテストするもの)を考えながら風呂に足を入れると、水があふれた。そこでアルキメデスは溢れる水が入った物の体積に等しいと言う原理を発見出来た。これは単に見て分かったと言うのでは無く、風呂に入ろうと言うのんびりした頭だから直観出来たのだろう。

 体に害があると言われるタバコも、こう言った意味では中々為になる。しかし、一番手軽な出家の心境は、何もしないでぼんやりしているときに得られるものであろう。心を遊ばす必要がある訳だ。

――言葉の出家――

 我々は環境に強く支配されている。どんなに出家的状況を作ろうとしても、思考に使う言葉そのものが、考えてみれば環境の一種である。その言葉が生活の残滓を引きずっていれば、捨てた筈の現実を反映する。

 言葉には二通りの用法がある。具体的用法と抽象的用法(メタラング)と言われるもので、前者は事物を指示する使い方で、後者は事物の関係を表す記号としての使い方である。数学は抽象的用法における最も壮麗な記号体系と言えよう。身近には、おとぎ話が何気無く具体的な現実を抽象的に虚構化している。
 メタラングを自由に使って虚構化を図るのは言語的出家である。

――日本語の泣き所――

 虚構の言葉で表現されるのは非実存の世界である。もし、現実に対応しない言葉をウソだとするなら、人間の考える学問、芸術、思想など、大部分がウソだと言うことになる。
社会的に制裁を受ける道徳的問題となるウソを除外すると、人間の人間らしい表現の極めて多くがウソの性格を持っている。

 文学的表現は一見して現実的外見を備えているから、実の言葉としても解することが出来るが、よくよく考えれば、全ての創作はフィクションであって、実の言葉でありながら虚の言葉へ移行、展開して行く二重人格的なものである。

 言語によって表現される分野では、どういう国語を使うかによって思考そのものが違って来る。ドイツ的観念論はドイツ語と無関係では無く、フランス哲学の明晰さはフランス語に影響される所が少なくないように思われる。言語によってメタラング化の方式が一様で無いからである。

 我々の日本語は実感に即すると言う点では極めて優れているが、それだけに、日常性の桎梏から自由になり切れにくいと言う欠点がある。知的創造の為には、もっと言葉を遊ばせなくてはならない。

< 7 あえて読みさす >


――中絶癖――

 外山滋比古がまだ学生だった頃、Q・D・リーヴィスと言うイギリスの女流学者の書いた『小説と読者層』と言う本に夢中になったことがある。リーヴィス女史が、ある所の脚注で、これについてはリチャーズとエンプソンのこれを読めと記していた。幸い、学校の研究室にどちらもあったので、読んだことがある。

 I・A・リチャーズの本は『実践的批評』と言うもので、ウィリアム・エンプソンの本は
『曖昧の七型』と言う本だった。しかし、どちらも面白過ぎそうな予感があって、一気に読むのが惜しさに、ちょっと読んだだけで本を閉じて終わってしまった。唯、その本に対する意識はずっと続いていた。

 同様に、本を読むコツは、谷の所で読みささないで、山場へさしかかった所で中止することである。すると、その本に対する意識が持続する。逆に、興味索然とした所で切ると、
つい取り紛れて、本のことを忘れてしまう。かりそめの別れが永の別れになる。

――影響――

 リーヴィス、リチャーズ、エンプソンの本に出遭ってから7・8年経った頃に、自分の考えが形を取るようになり、一連の試論をまとめて最初の本を出した。すると、いくらか注目されたらしく、方々に批評が出たが、驚いたことにはリチャーズ、エンプソンの影響があると言う指摘があった。リーヴィス女史の影響を指摘した人は一人もいず、少し齧っただけのリチャーズ、エンプソンの本から多くのものを引き継いでいるらしかった。

 もっと驚いたことには、リチャーズの本で、全く覗いても見なかった『文芸批評の原理』
と言う本からの影響を指摘された。

 その後思ったことには、もし、あの時二人の著作を次々に読んでその所論に服していたとしたら、知識はついただろうが、自分の考えは出にくかったかも知れない。読書を中絶した為に却って創造的影響を受けることがある。こう言うことは学校では教えてくれない。

――本と付き合う三つの態度――

 本との付き合いには三つあるように思われる。一つは、始めは仲良くしていて、やがて意見が合わなくて別れ別れになる。どこかに不満が起こって、そこに批判・批評が生まれる。批判は否定的創造と言えるが、何となく喧嘩腰で本を読んでいるようで哀れな気がする。

 もう一つの本との付き合いは、どこまでも書いてあることを信用し、大人しくついていくやり方である。学校での教科書に対する態度はこれに近い。教科書を疑っていたのでは知識を身に付ける妨げとなる。下手な懐疑をしないですっぽり受け入れる。それが抵抗無くすんなり出来る人が優等生と言われるのだ。

 しかし、優等生は知識はよく頭に入れるが、新しいものを生み出す力には乏しい。本を読んでいるのでは無く、読まれている為だ。ショーペンハウエルの読書論はこの間の事情について鋭い批判を加えている。

 第三の道は、面白い本と少し付き合い、面白くてたまらなくなりそうな所で、敢えて別れる。勿論これでは知識を得ることは出来ないが、代わりに自然に新しい考えを持つことは可能である。

 慣性の法則によると、動いているものはその運動を続けようとする性質があり、急に停止すると、それまで動いていた方向へのめり込もうとする。電車が急停車した時に、乗客が将棋倒しになるのもこの性質による。

 同様に、この現象は心理現象にも適用でき、親しいものが急に傍から居なくなって感じる“淋しさ”の感情も、慣性が挫折させられた所で働いた意識だと解釈できる。

 本を読む時にも慣性が働いている。本の始めの部分は多少とも読みにくいが、読み進めるにつれて読みやすくなり、すらすら進むようになる。そうしてその勢いで読了すると、後に余韻が生じる。こういった余韻はことに文学作品において顕著である。

 中絶読書は、そうして生じる慣性を利用して、自分の考えを浮かび上がらせようとするものである。面白すぎて先を読むのが怖くなるような時と言うのは、途中で切って、そこに創造的慣性に浸ることを、我々が心のどこかで期待しているからかも知れない。

――脱線のすすめ――

 文章を読んでいて、じっとしていられないような興奮を覚えることがある。そう言う時の感覚は“刺激的”と形容される。刺激的とは、遠心力のようなもので、外へふくらみ飛び出すか知れないカーヴを沢山もった本に言えることだろう。だから、読者の意表を次々とつくような本に、読者は刺激的と感じる。

 脱線しかけると、創造のエネルギーが生まれる。これには読む速度も関係し、さっと気軽に読んだ時に最も創造的である、逆に、本腰を入れて読もうとすると読む速度が落ちてさっぱり面白く無いように思われる。

 優れた本は読者を惹き入れる引力が強い。しかしそのまま惹き込まれたままでいると、自分の創造的な考えが育たなくなる危険性がある。それに抵抗するには、時に脱線して、自分の考えを確かめる必要がある、

 同様に、優れた指導者についても言うことが出来る。優れた影響力を持っている点のみに着目していると、その下にいて、個性を失う人間が育ちやすい。亜流になりたく無かったら、敬遠して影響を受ける必要がある。それを勘違いして、優れた先生にはなるべく近付きたいと言う気持ちにひかれて、折角の師の薫陶を台無しにしてしまうことがしばしば起こっている。心ある者は敢えて門外に立つ勇気がいる。

< 8 書くスタイル >


――ステージ=フライト――

 上がる(英語ではステージ=フライト)と言うのは奇妙な現象である。どうして上がるのか分からないが、とにかく大勢の人前へ出ると心身に異常をきたすらしい。論文を書けと言われると、ずっと先の話なのに緊張する。これでは思うようにものは書けない。そういう時は、上がっている気持ちを落ち着かせる為にも、気の済むまで、時間のあるだけ、下書きをするのも一法である。時に思いがけぬ新しいことに気付くこともあり、下書きを嫌がることは無い。

――タイミング――

 人間は怠け心を持っている。することが無いから本でも読むかとは言うが、暇だから、一つ文章を書いてみるか、とは先ず思わない。書くにはタイミングと言うことがある。面白いと思ったら、その時に書いてしまうのが一番いい。温めておくつもりで延ばしておくと、冷めたスープのようになってしまう。

 尤も、締切りが来なくては書く気にならないと言う人の方が多いのははっきりしている。
どうにも仕様が無くなると、猛然と書く。こう言う人は思い屈している時に良いものができる。何を、と言う意地が無いといけない。一般に、ものを書くには、人間余り幸福で無い方がいいらしい。

――原稿の設計――

 うまく書けないときは、大抵考えがよくまとまっていない。設計図を先ず書く必要がある。設計を頭の中だけでまとめようとするのは実際的では無い。やはり紙に書いてみる。
かるた取り、と言う方法によることがある。今仮に、AからJまでの十本の柱を考えたとする。それぞれを別の紙片に書いて、十枚のカードを作って並べ、一つ一つ続き具合を見て、順列組み合わせをしていく。更に、書こうとする問題について頭に浮かんだことを紙片に書いて一面に並べる。そうして、それらを分類してみて、AからJまでの親カードの内、どの範疇に入るかを決めて、その下に並べる。これを見ながら書いていけば、構造や論理がおかしくなると言うことは少ない。

 ものによっては、設計がしっかりしていると、却って面白いものが書きにくいと言うこともある。論文は別として、面白さを狙った文章においては、事前に余り技術的な設計を作らない方が良いように思われる。唯、失敗すると目も当てられなくなるから、用心するなら、設計を作ることだ。設計も作りつけていると、自ずから我流ができるから、それ程厄介で無くなる。

――煉瓦と豆腐~パラグラフということ~――

 原稿の設計を作って、柱となる問題の下位に幾つかの小さな柱を並べる。文章を書くに当たっては、この小柱からかかるのだが、それをどうしたらいいか、これがはっきりしないことが少なく無い。

 と言うのも、我々は小さい時から、パラグラフ、段落と言うものをしっかり教わっていない。設計の時の小柱がそれぞれパラグラフになるようにしてあると、大変便利である。
外国の論文を見ると、よく論旨整然とした文章にぶつかる。外国語の文章のパラグラフは例えて言えば、煉瓦のようなものだ。きちんと積み重ねていくと、幾らでも大きなものが出来る。がっちりした単位である。

 それに比べて、日本語の段落は豆腐のようなもの。豆腐は重ねると崩れてしまう。長大論文が生まれにくい。豆腐はなるべくぶつからないように、横に並べた方がいい。或いは一つを二つや三つに切ったりする。論理的断絶が生命になっていることも少なくない。

 日本語で随想を書いている人が、いかにも無原則に改行し、新しい段落を始めているように見えることがあるが、それ程でたらめでも無い。一つの考えから次の考えへ移るのに、ぴったり重なり合う煉瓦を乗せるのでは無く、別の皿へさっと移って、新しい豆腐を置く、と言うような移り方があっても良い。日本人は、寧ろ少し離れた所へ飛躍する為に新しい段落を始める。散文でありながら、発想の上では詩に似たものになるのは、その為であろう。

 こういう移りの感覚が身に付かないと人並みの文章が書けないのが日本語の泣き所である。言わば連句のようなもので、初心者が段落に苦しむのは当然である。知的散文の練習は、やはり地道に、しっかりした構造のパラグラフの積み上げから始めるのが賢明である。

 知的散文はパラグラフを単位とした文章である。会話文が挿入される為に、段落の観念が曖昧になる小説の文章などは、実用文にとって余り参考にならない。

――書き方のスタイル――

 ものを書くには書き方のスタイルができていないと書きにくい。

――スタイルの二重性格――

 スタイルができると、それまでは書けなかったようなことが割合楽に書けるようになる。
やがて、自分のスタイルと言うものができるようになって、何とかものが書けるようになるが、それと同時にマンネリズムが始まっていることも忘れてはならない。

 作家が意図的にスタイルを変えることがあるのは、新しい世界を拓く為である。固定してしまったスタイルは余り大きな飛躍や進歩を約束しない。寧ろ、スタイルを模索している時に思いがけないことが見つかるものである。自然科学の大発見は比較的若年の研究者によって為されることは、スタイルの二重性格を物語っているように思われる。

 スタイルが無いとものを書くことも考えることも出来ないが、一旦できてしまったスタイルは、なるべく早く壊さなくては危険である。スタイルによる自家中毒は、精神にとって最も恐ろしい老化の原因になるからである。


< 9 酒を造る >


――論文というもの――

 大学では、学生に論文を書かせるものだから、指導をしなくてはならない。もう二十年位前のことになるが、毎年毎年、年中行事のように、春になると、どうすれば論文が書けるかを話したものだ。論文の書き方と言うと、形式のことを連想する学生が多いので、表現に至る思考法と言ったキザな題にして、英文科三年の演習の時間を潰して、百分間の話をしたことがある。

――テーマ――

 仮に、今シェイクスピアについて論文を書いてみようと漠然と思っているとする。テーマは論文の支柱であるが、はじめにテーマがあったりする筈が無く、飽くまで自分で発見しなければならない。論文を書くのは、少なくとも書く当人にとって面白いテーマを見つけることに帰する。

 テーマを発見せよ、と言うと、目ぼしい参考書を漁って、何か面白そうなことは無いかとうろつき回ることが少なく無いが、順序が逆である。先ず、人のめがねでものを見るのでは無く、自分で見る。それにはシェイクスピアの作品をじっくり読むことが何よりである。そこで、面白いと思った所や、分からない所、疑問を持った所に注意しながら丁寧に読む。必要ならノートを取る。この感想が論文の主要な素材となる。しかし、これだけでは論文にならず、感想文になってしまう。

 感想に核を与えて新しいまとまりにするには、異質な要素を添加する必要がある。シェイクスピア関係に限らず、何でも興味ある事象はどんどん受け入れるようにしておく。ある問題を考えていて得られる着想は、一見、無関係のようでもどこか同じ根を持っているものである。これはいいと思ったらその場でメモをする。アイディアは一期一会である。

――素材=発酵素=時間――

 ここから“酒造り”が始まる。着想と言うものは、ヒントであって、発酵素である。しかし、ヒントと材料を混合しただけではだめで、これに加えるに時間を以てする。この時間をかける所がミソである。折角の着想と研鑽がこの時間を忘れたばかりに愚にもつかないものになり果てることが多い。

 素材、即ち発酵素であり、着想或いはヒントが揃ったら、それをノートに記入しておく。
このノートの右ページには仮の題目をつけ、その下にこのページを記入した年月日を入れる。“仕込み”の時間を明らかにする為である。その下に作品に即して得られた知見を整理して、箇条書きにする。左のページには発酵素に当たるヒントを列記する。必要なら出典を付しておく。新しいヒントや作品に即した知見が現れれば、それもその都度記入する。

 いつかW・Wロストウの『経済伸長論』のはしがきで、この本の萌芽は出版を遡ること20年、1930年代中頃、大学の学部学生のときにあったと言う告白を読んで外山滋比古は心を打たれた。この名著は20年寝かされ、温められて生まれた銘酒だったからである。

――新しい酒――

 陶器などの真贋を見分けるには座右において日夜眺めるのが一番だと言う。テーマも同じことで、始めは酷く面白そうに見えても、時間をかけてそれが本物かどうか鑑別する必要がある。

 ウィリアム・エンプソンは『曖昧の七型』で世界に知られる批評家だが、この本はケンブリッジ大学の卒業論文が土台になっている。数学専攻学生だったエンプソンは3年の時に英文専攻に転向する。その頃、エンプソンはシェイクスピアのあるソネットの多義性に夢中になっていた。指導に当たっていたI・A・リチャーズがそれを、他の詩でもやってみれば面白いではないか、と一言口に挟んだ。それが引き金となり、一週間後にエンプソンは三万語に及ぶ論文の原稿を抱えて現れたと言うのである。

 テーマが発酵するまではどれだけ時間がかかるか分からないが、いよいよ酒の素ができたとなれば、後は手間暇はかからない。少なくともアルコールを酒にするのは直ぐにでもできる。着想を寝させて発酵させると言う化学反応は、単に理知的なもので無しに、ポエジー(詩)が存すると思われる。酒を造るとはポエジーの創造に他なら無い。これが面白い論文である。

< 10 メモ >

 普通の大学生の講義のノートは、やや詳しいメモ程度になっている。しかし、機械的に聞いたことを写し取るよりも、要領良くまとまった概要(シノプシス)を作る方が遥かに効果的である。唯、重要な所を選び出すのは、丸々筆記するより遥かに難しい。つまり、価値観と選択能力が求められる。全部書き取るよりもメモを取る方が高度の知的作業である。

 そのメモすら取らないで、唯じっと聞くことが最上の方法だとも古くから言われている。
これは中々勇気を必要とする。これは文字によるメモを取ると、安心して忘れてしまう為に、多少変化はしても、本当に興味のある部分を頭に残す為に用いられる方法である。

 人の話を熱心に聞くのは結構だと言いたいけれども、寧ろ、少しぼんやり聞いていた方が良いとも言える。それで眠くなったら、眠ってしまっても仕方が無い。そういう頭で衝撃を受けるようだったら、面白い話だと言うことだし、居眠りするような頭なら、例えどんなにメモを取っても、どうせ碌なことが書ける訳が無い。死なねば直らない悪癖と観念する他無かろう。

――頭の中のメモ――

 メモを取った後の管理はメモを取ること自体より遥かに大変である。三年して振り返って、メモが利用できるのは先ず皆無として良い。長い間大事だと思われるようなことであれば、頭の中へ畳み込んで置く方がいい。

 外山滋比古は嘗て、「人と国土」1977年1月号に載っていた「母音文化と子音文化」と言う対談を、面白いと思った。それには、日本人の脳は欧米人と違った働きをしており、例えばコオロギの鳴く声を日本人は言語を解するのと同じ左半球で受け止めて風情のあるものと感じるが、欧米人は右半球で聴いて雑音の一種と解するとあった。単なる推測では無く、実験的にも裏付けられており、この話をしているのが医学者の角田忠信氏で、その話を引き出しているのが音楽学者の小泉文夫氏だった。これを外山滋比古は、最初メモを取ろうと思ったが、結局、大筋を頭で記憶しておくことにした。

 外山滋比古が「母音文化と子音文化」で興奮した後、フランシス・ベーコンの『エッセイズ』で「真理」の章を読んだ。すると、真理は裸でいい筈なのに、奇妙に副詞が多いことに気が付いた。このことを頭の中でメモしておくと、少し前に読んだ清水幾太郎氏の著書『日本語の技術』にあったことが頭をかすめた。それはヴィーコと言うイタリアの哲学者のことだ。彼はデカルトが絶対的な確実性を求めて数学に達したのに対する批判を加えた。デカルトが真理を表現するのに、文章上の特別の工夫は不要なばかりか有害だとして、レトリックを排斥したのに対して、ヴィーコは数学的世界は裸であってもいいが、人間の世界では真理は裸であってはならぬと主張した。ベーコンもヴィーコの徒であったのだろうかと空想して楽しかった。

 紙に書いたメモはどこかへ行ってしまうとそれまでだが、頭の中のメモ、メモリー(記憶)であれば、こう言う風に思いがけない結合があって、当人にとっては一閃、天地が明るくなるような気持ちになるものだ。

――備忘録かアイディア=メモか――

 メモには二種類あるように思われる。一つは、備忘録として、事実等をメモしておくもの、記録である。もう一つには、頭に浮かんだアイディア等を書き誌しておくもので、これは他日の思考に手掛かりを残す意味合いの方が大きい。大体の人のメモは前者の方が多いようだが、比較的よく記憶に残るのは後者である。

――通しナンバー=システム――

 外山滋比古は、アイディアのメモを取るのに、通しナンバーを付けると言う工夫をしたことがある。例えば、年始めからのアイディアの通しナンバーを付けて、その後に記入の日付を付ける、と言うものである。このやり方で興が乗って、年に5・6冊手帳を潰したことがある。

< 11 ノート >


――少なめに――

 講演を聞いてメモを取る人がメモに気を取られて話を理解していないことが多い。同様に、何でもノートしようとして本を読んでいる人にもこれが当てはまる。

 なるべく少なく、と心掛けてノートを取るのがノートの智慧である。

――精神の履歴書――

 自分の考えたことを忘れないように書き留めておく備忘録もノートであることに変わりが無い。

 ふと、何かを思い付いた時の為に、目的に適うノートを作っておくと便利である。一つの考えに見開き2ページをあてがっておく。書き込むトピックが堅めだとすれば、別にこれと併行して、軟らかいエッセイ風なトピックを記録するノートも作っておくと好都合である。こちらの方のノートは一つの問題に1ページを当てれば充分で、見開きで二つの問題を扱うことができる。見出しを付け、後は要点を同じようにバラバラと書き留めておく。
こう言ったノートは精神の履歴書のようなもので、貴重なものになる。トピックやアイディア毎に日付を記入しておけば日記を補う役割を持つこともできる。

――ノート選び――

 我々はノートを軽んじる傾向があるが、永続させたいと思うものであれば、あり合わせの大学ノートでは無く、高級なノートを求めて、愛蔵するに足るものでなくてはいけない。

――メタ=メタ=ノート――

 手帳のメモを第一次的ノートとすれば、それから本格的にノートにするのはメタ・ノートである。更に、そのノートを項目毎に整理してこしらえたノートがメタ・メタ・ノートである。外山滋比古も、研究ノートを取って20年すると、メタ・メタ・ノートの必要に気が付いた。

――見出しづけ――

 学校の講義のノートでも、要約ノートの場合、適当な小見出しが付いているかどうかで後日の勉強に大きな違いが出て来る。見出しはなるべく面白そうな表現にしておくと、内容まで面白そうな感じがする。新聞や雑誌は見出しに凝る。どういう要約の見出しを付けるかで、後日の役立ち方が違ってくる。

 見出しを付けるのもメタ・ノートの作業の一部になる。注意しておきたいのは、見出しは複数にした方が良いと言うことである。見出しは内容を絞って付けるものだが、反面、見出しで漏れてしまう部分が残る。見出しだけでは後からそれを見つけることは不可能で、そういう心配を少なくする為にも、見出しは必要に応じて二つでも三つでも付けておく手がある。

 我々がせっせとノートを作っても、その割合に役に立たないのは、メタ・ノート化されていないことが一因である。見出しやインデックスを作るのもメタ・ノート化だが、各人が試行錯誤を重ねて我流を編み出す他に無いのが実情である。

――ふるい――

 選択された結果のノートは、全部をコピーしたノートに対して、メタ・ノートの性格を帯びている。更に、それを要約、或いは整理したものはメタ・メタ・ノートになる。こうしてノートによるふるいにかける回数が多くなればなる程知的に抽象化された内容になる。 

 全ての表現や思考は、ノート化、メタ・ノート化の過程をくぐり抜けていかなくてはならない。普通のものは七十五日の人の噂と同じ位に早く霧消するが、時にはいくらメタ・ノート化のふるいにかかっても生き残るものが現れる。それが普遍的価値につながるのだ。

 その為には、必ずしもいわゆるノートを必要としない。無形のノート、メタ・ノートなら、誰でも頭の中に何冊も持っている。

< 12 頭の中の料理法 >


――料理の楽しさ――

 料理はそのプロセスが誠に変化に富んでいる。スーパーでは何を買うのも自由で、無責任な選択を許してくれる。そこに新しい発見もある。同様に、広く文化の次元においても、現代は料理の時代と言えないことも無い。知的創造を料理と言う角度から眺めると、どういう形になるか。少しそれを考えてみたい。

――カクテル文化――

 酒を造るには、材料を仕込んで寝させて発酵を待つ。化学変化である。頭の中でこう言う新しい酒を造ることができれば、それは発見になる。

 それに対して、幾つかの酒を混合して造るのがカクテルである。酒を造るのが一次的創造ならば、カクテルを作るのは二次的創造、調理による創造となる。

 社会も複雑になると、創造の様式も昇華されて、一次的創造と並んで二次的創造が重視されるようになる。現代はカクテル文化を特色としており、知的生活は思考のカクテルを求める生活である。

 現在の教育は、優れたカクテルを作るにはどうしたらよいかを教えようとしているのだが、学生は、唯名酒のレッテルを集めて満足していると言う所があった。これからは二次的創造が問題になり出したのである。

――ヴァリエーションの創造――

 酒そのものを造るのは独創である。酒を加工、混合して新しい酒にするのは独創では無いが、一種の創造であり、ヴァリエーションである。ヴァリエーションの変化の程度が大きなものが独創であって、変化の程度の小さいのをヴァリエーションの創造とするなら、
両者の間には量的な違いしか無いのかも知れないと考えるようになるだろう。

――補色の原理――

 点描画法(ポアンティイスム)と言う絵の画き方がある。モネやスーラ等の印象派の人達がこの画法で有名である。一つ一つの色をパレットの上で混ぜる代わりに、画面上に隣合わせに並べる。これを少し離れた所から見ると、互いの色が混ざり合った色として映る。しかも、それぞれの色の持っていないような輝きが出る。これを視覚混合の効果と言う。

 例えば、緑と紫をパレットの上で混合すれば、鈍い灰色になるが、点描によって並置すると、対比によって輝いた真珠色に見える。

 同様に、同じ本を読んでも、人によって反応が違うのは、読者の頭の中に入って、他の事柄と並べられた時に相互作用が始まり、互いに引き立て合って輝きを出すこともあれば、
逆に相殺して、元々はあった光沢を失わせてしまうこともあるからだろう。

 大発見は、眠っていた考えが、隣に引き立てるものが現れたから起きたものかも知れない。その素晴らしい結合の切っ掛けが、インスピレーションによると言われたりする。

 二次的創造も、補色の原理と同様である。

――エディターシップ――

 我々の人生は雑誌の編集を思わせる。部分の一つ一つは外部から与えられたり、押し付けられたり、他人のものを借りたりしているのだが、それに順序を付けてまとめることにおいては独創的であり、個性的であり得る。それが実り多いものになるか、唯夢のように消えるかは、人によって分かれて来る。

 本を読んで優れた思想や新しい知識に触れる。それを我がものにして、日常に活かしていく。一見全く模倣のように見えるかも知れないが、これも目に見えない二次的創造、エディターシップである。我々は自覚しない所で随分創造的なのである。

――知的料理人になる――

 解釈も料理とかなり似た性格のものである。たかが解釈位、と考える人がいるが、解釈いかんによっては、生きているものが葬り去られ、半死半生だったものが復活することも無いでは無い。

 学者や批評家は知的料理人と言うことができる。生では分かりにくいことを適当に解釈して、口に合うようにする。

 学者や批評家に限らず、人間は全て、文字にならない解釈と言う料理によって、二次的創造を行っている。この二次的創造が一次的創造に劣らず創造的であることは、既に映画監督やオーケストラの指揮者等によって証明済みである。料理に関心の高まっている現代は、二次的創造の知的料理法の意義を理解するのに、最も適した風土を持っていると言うことができる。




 と言う訳で、外山滋比古の『知的創造のヒント』でした。本評論では、様々な取り合わせによる加工による知的創造や、その為のメモ取り、等を著者自身の経験から論じたものです。荒氏もこうして、作品のあらすじを書いている訳ですが、これもある意味二次的創造、と言えるかも知れません。

 この評論は200ページ程あるんですが、無駄な修飾や同じ主張の繰り返しや例えの繁雑さがあって、荒氏自身が読みこなして何とか40ページ程に要約しました。自分自身面白いと思われた引用は、そのままみんな書き出しておいたので、ここに書いてあるあらすじを読めば、これ一冊丸々読んだと同じと思っていいです。

 唯、僕自身これを読んでみて思ったのが、今一つ物足りないなと言うことでした。と言いますのは、本当の創造と言うものは一人一人の血を沸かすような発奮・理想によって起こるもので、本評論は手段的なことは管々しく述べても、そこまで深く掘り下げて述べられていなかったからです。本当の創造と言うことになると、血の気が無いといけません。この評論は飽くまで理論であって、血の気に乏しいんですよね。ですから、自分自身のそう言った内容が伴わないと、この評論で論じられている程には、知的創造と言うことは難しいと思われるのです。

 とは言え、カクテル文化は荒氏自身も大いに賛成で、その為にも、なるべく歴史的な良書と言うものを現代に活用する意義があると思い、こうしてこのブログをぼつぼつ微力ながらやっている訳です。今回はこれまでとしましょう。


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